沖縄本島のグスク案内サイト
沖縄の各地に残るグスクには、魅力的なグスクがたくさんあります。晴れた日には友達誘ってグスク探訪に
出掛けてみませんか。
・築城者:英祖王統二代目「太成王の五男」
初代勝連按司
・築城形式:連郭式
・標高:約63m~93m
・面積:約11,867㎡
●勝連半島の付け根の琉球石灰岩丘陵に築かれた勝連グスクは、一目でその堅固さが分かるグスクです。
勝連グスクは5つつの郭からなっており、一番高い位置にある上グスク(1~3ノ郭)は一つのグスクと見ても
いいほどの独立性があります。さらに下グスク(4ノ郭)は5つつの井戸があり、2か所の城門からなっています。
平坦なのは東グスク(5ノ郭)の東方のみと言われたグスクですが、近年の発掘調査で堀切が発見されその堅固
さが照明されています。
・勝連按司
英祖王統二代目「太成王」の五男が最初の勝連按司と言われ五代続いたそうです、六代目が伊波按司の六男で、七・八
代目が浜川按司、九代目が茂知附按司、そして十代目が古英雄「阿麻和利」となっているそうです。
・勝連攻め
中城グスクの護佐丸が滅んだ後、阿麻和利は天下取りを目指して首里グスクを攻めますが、事前に鬼大城と百々踏揚の
知らせで迎え撃つ準備を整えていた首里グスクを落とせずに敗れたそうです。
1458年9月、王はすぐに勝連討伐を命じ、鬼大城を総大将に約三千と言われた兵で勝連グスクを包囲し攻めますが、要害
の地に築かれた勝連グスクは容易に落ちなかったそうです。鬼大城の一計で阿麻和利が討たれ落城するまで、首里の軍勢も
多くの犠牲を出し鬼大城の弟二人も戦死するほどの激戦だったと言われています。(※参考本、与並岳生著書「琉球王女百々踏揚」を参照)