(シマジリオオザトグスク、南山グスク、高嶺グスク)

島尻大里グスク

所在地:糸満市字大里(小字桃原)

三山時代の南山の本拠地で、英祖王の子の大里按司から4代目の南山王「他櫓毎」までの約100年間の 南山王の居城と伝わります。この城跡は大正年間に小学校が建設され、その時にグスク域の約5分の4が 学校敷地となり城跡が失われました。現在、残っている石垣は後世のもので、本来の城壁は野面積みの 城壁で北側崖上に僅かに残るだけです。
・南山攻め
伝承では、1429年南山王四代目の「他櫓毎王」の時、田園の水源「嘉手志泉」と中山の尚巴志の持つ「金屛風」を 交換した為に人心が南山を離れ、その頃合いを見計らい、中山軍は南山に総攻撃をかけ落城させ「他櫓毎王」は捕虜になり 南山は滅びます。この時、中山軍を迎え撃って奮戦したのは、王弟「阿衡基(あこうき)南風原按司守忠」の軍勢 だったといいますが、百戦錬磨の中山軍を支える事が出来ず、南風原按司は敵軍に紛れて逃げ延びます。世にいう 「南山崩れ」です。南山の末裔はこの南風原按司「阿衡基守忠」の子孫で阿氏一門と言われています。

島尻大里グスク!  
 撮影:南山城跡の碑。

  ★グスクの概要

  史跡指定:ナシ

    ・築城者: ?

    ・築城形式:連郭式

    ・標高:約60m

    ・面積:約14,120㎡


案内地図

島尻大里グスクの位置図

糸満市字大里の大里集落の西側にある高嶺小学校の敷地が南山城
跡となっています。城跡の南側に高嶺中学校、東側に県道7号線を
挟んで嘉手志川があります。

グスク入口

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県道7号線の交差点を国吉集落向けに右折したすぐ右側が高嶺小
学校になっており、すぐに分かります。

グスク内

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北側に残る石積みの背後のグスク内です。

グスク内

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グスク内の東側ですが、右側の丘陵境い目に、本来のグスクの
城壁があったと思われます。

城壁

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グスクの北側に残る野面積みの城壁です。

城壁

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グスクの北側に残る野面積みの城壁です。

グスクの想像図

島尻大里グスクの想像図

学校の建設で失われた南山グスクですが、大正時代の南山城跡
の実測図があり、それを参考に描いた想像図です。あくまでも
個人の想像図ですので正確性はありません。

南山神社

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大きな鳥居があり、入ると南山神社となっています。

グスク内

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グスク内の東側の状況です。

グスク内

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南山神社敷地から見た東側です。一段と高くなった部分に城壁が
あっただろうと思われます。

城壁

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グスクの北側から東側に残る野面積みの城壁です。

城壁

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グスクの北側から東側に残る野面積みの城壁です。

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