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市町村別グスク一覧(各市町村の間切り時代の説明入り)

北部 中部 南部

市町村の分類

北部: 国頭村 大宜味村 名護市 今帰仁村 本部町 宜野座村 恩納村 金武町

中部: うるま市 読谷村 嘉手納町 北谷町  沖縄市 宜野湾市 北中城村 中城村 西原町  浦添市

南部: 那覇市 南風原町 豊見城市 南城市 八重瀬町 糸満市


うるま市

うるま市は平成17年に石川市、具志川市、与那城町、勝連町の4市町が合併して出来た新しい市です。
ここでは、間切り時代の4市町を紹介したいと思います。

旧具志川市 旧勝連町 旧与那城町 旧石川市

旧具志川市

具志川間切り
具志川間切りは具志川市域の15村からなっていたといいます。城跡も多く安慶名グスク、兼箇段グスク、天願グスク、 具志川グスク、喜屋武グスク、古グスク等があります。この領域を支配していたのは伊波按司の5男初代安慶名按司から 三代安慶名按司まで、三代に渡りこの地域を支配していたといいます。


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グスクの位置図

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旧具志川市

グスク名所在地グスクの現況・その他
安慶名グスク具志川市字安慶名亀甲原(安慶名城址公園)探訪、遺構残る
喜屋武グスク具志川市字仲嶺(仲嶺原)喜屋武マーブ公園探訪、今はナシ
具志川(うるま市)グスク具志川市字具志川小字下敷原探訪、遺構残る
兼箇段グスク具志川市字兼箇段探訪、遺構残る
古(うるま市)グスク具志川市大字宇堅小字岩地原未訪、進入不可(火力発電所内)
江州グスク具志川市字宮里(小字宮城原)探訪、拝所有り
天願(つちぐすく)グスク具志川市字天願(小字町原)未訪、進入不可(米軍基地内)
天願(霊化森)グスク具志川市字天願未訪、進入不可(米軍基地内)


旧勝連町

勝連間切り
勝連間切りは与那城町を含む与勝半島と周囲の島々を含む領域で、この勝連間切りを支配していたのは勝連グスクを居城とする 勝連按司だったそうです。城主が代わったりして10代続いたそうですが、その中でも最後の城主「阿麻和利」が有名で、その居城 「勝連グスク」は世界遺産に登録されて一躍有名になっています。

※勝連グスクの石材・・確か今の美里工業高校の側の河川から海邦町と泡瀬 の境目にある旧防波堤の防風林跡まで、埋め立てられる前までは遠浅の海で、その防波堤のある所が海中道路になって おり中間辺りに泡瀬橋がありました。潮の満ち引きの差が大きく水難事故が毎年のようにあり、この道路は勝連グスクを 取り壊した石で作られたから、その祟りではないかと噂されたものです・・・

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グスクの位置図

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旧勝連町

グスク名所在地グスクの現況・その他
クボウグスク勝連町津堅小字津堅原(津堅島)探訪、遺構残る
フニグスク勝連町字平安名(小字城)探訪、今はナシ
勝連グスク勝連町字南風原(城址公園)探訪、世界遺産
新川グスク勝連町津堅小字津堅原(津堅島)探訪、遺構少し残る
比嘉グスク勝連町浜比嘉島比嘉(城址公園)探訪、遺構少し残る
浜グスク勝連町浜比嘉島浜探訪、遺構少し残る
平安名上グスク勝連町字平安名未訪、進入不可

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旧与那城町

与那城間切り
与那城間切りは1676年に勝連間切から分離して出来た間切りで、当初は「西原間切」と呼ばれ、次に同じ名前の村 があるという事で「平田間切」に、その後「与那城間切」に改称されたそうです。


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グスクの位置図

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旧与那城町

グスク名所在地グスクの現況・その他
ナチヂングスク与那城町字屋慶名小字西藪地未訪、進入不可
伊計グスク与那城町字伊計小字西前探訪、遺構少し残る
南グスク与那城町字上原小字大岩探訪、拝所有り
泊グスク与那城町字宮城泊原探訪、遺構残る
平安座西グスク与那城町字平安座下城未訪、石油基地内(遺構残る)
平安座東グスク与那城町字平安座小字東ハンタ原未訪、石油基地内(拝所有り)
野グスク与那城町字西原未訪、進入不可

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石川市

石川市の場合は間切り名はありません。1666年に美里間切りが新設された時に、越来間切りから美里間切り に編入されたそうで、戦後の1945年に市政が布かれるまで美里村に属していたそうです。戦後の沖縄の政治、 経済の中心地であったことでも知られています。

※石川ビーチ・・戦後、石川ビーチは米軍の保養施設の一つで、東恩納交差点 から坂道を下って川を渡った辺りから道路沿いの右側にフェンスが走り、一般人は立ち入り禁止だったと思います、市の発展が ビーチに阻害され、その返還を今か今かと待ちわびた時代がありました。

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グスクの位置図

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石川市

グスク名所在地グスクの現況・その他
伊波グスク石川市字伊波後原探訪、遺構残る

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読谷村

読谷山間切りは、1673年に恩納間切りにその領域を割かれるまで、現在の恩納村の南側半分を占める大間切り だったといいます。沖縄で有名な武将読谷山按司「護佐丸」が支配した間切りです。後に、良港の長浜がある 座喜味に座喜味グスクを築き移ったといいます。今の呼び名読谷村は戦後の呼び名で、戦前までは読谷山(よみたんざ) と呼ばれていたそうです。


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グスクの位置図

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読谷村

グスク名所在地グスクの現況・その他
イットカグスク読谷村波平(石根原)探訪、遺構ナシ
タカヤマグスク読谷村座喜味未訪、 
トウヤマグスク読谷村字長浜原付近?未訪、位置確認出来ず
マテージグスク読谷村字長浜原付近?未訪、位置確認出来ず
メーダグスク読谷村字大湾原未訪、進入不可
ヤクミーグスク読谷村字大湾(深迫原)未訪、米軍基地内
宇座グスク読谷村宇座探訪、遺構確認出来ず
座喜味グスク読谷村字座喜味城原(城址公園)探訪、世界遺産
瀬名波グスク読谷村字瀬名波未訪、  
大湾グスク読谷村字大湾牧原探訪、拝所有り
渡具知泊グスク読谷村字渡具知置原(城址公園)探訪、遺構ナシ

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嘉手納町

現在の嘉手納町は、元は北谷間切りに属していたそうです。戦後、嘉手納基地に軍用地として大部分を接収され、 北谷村(現北谷町)と分断されことが原因で分離して出来たそうです。


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グスクの位置図

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嘉手納町

グスク名所在地グスクの現況・その他
屋良グスク嘉手納町字屋良(屋良城址公園)探訪、拝所有り
嘉手納グスク嘉手納町嘉手納(中央公民館)探訪、 今はナシ
国直グスク旧北谷町字国直未訪、米軍基地内

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北谷町

北谷間切りは、その領域を宜野湾間切りと越来間切りに割譲し、戦後は嘉手納基地のために現嘉手納町が分離して 現在の北谷町になったといいます。古くは童謡「耳切り坊主」に出てくる北谷間切りの領主大村御殿の「北谷王子」 や薩摩侵攻の時の激戦地北谷グスク等の話があります。
現在、全国から視察団が訪れる程、返還地の美浜が発展しその名が知られています。


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グスクの位置図

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北谷町

グスク名所在地グスクの現況・その他
池グスク北谷町謝苅探訪、今はナシ
北谷グスク北谷町謝苅未訪、返還され探訪可

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沖縄市

越来間切りは、旧美里村や旧石川市を含む大きな間切りだったが、1666年に美里間切りが新設され、その美里間切りから 戦後、米軍の命令で旧石川市が分離しました。残った越来間切りの名称が戦後、旧コザ市となります。そして1974年に旧コザ 市と旧美里村が合併し出来たのが現在の沖縄市です。

※ひとり言・・それにしても、大正8年頃の地形図に美里村の地名がなく、 西原と言う地名になっているとは知りませんでした。・・・

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グスクの位置図

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沖縄市

グスク名所在地グスクの現況・その他
アマグスク沖縄市字大里後原探訪、今はナシ
インジングスク沖縄市嘉間良八重島川原(八重島公園)探訪、遺構ナシ
越来グスク沖縄市越来(越来公園)探訪、今はナシ
知花グスク沖縄市知花探訪、遺構少し残る
仲宗根グスク沖縄市仲宗根探訪、拝所有り
美里グスク沖縄市美里(吉原)探訪、拝所有り 

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宜野湾市

宜野湾間切りは、1671年にその大部分を浦添間切りから、そして中城間切りと北谷間切りからもその領域を割いて 新設された間切りだそうです。そのまま明治維新を経て現在の宜野湾市に至ります。


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グスクの位置図

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宜野湾市

グスク名所在地グスクの現況・その他
嘉数ウィグスク宜野湾市嘉数(嘉数高台公園)探訪、拝所有り
嘉数内グスク宜野湾市嘉数探訪、遺構ナシ 
我如古グスク宜野湾市字我如古探訪、拝所有り
喜友名グスク宜野湾市字喜友名探訪、今はナシ(米軍基地内)
大謝名黄金森グスク宜野湾市字大謝名探訪、遺構少し残る

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北中城村

中城間切りは、現在の中城村と北中城村を合わせた領域だったといいます。戦後、米軍の軍用地に村の行政が分断された のが原因で、1946年に中城村から分離して北中城村となったそうです。


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グスクの位置図

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北中城村

グスク名所在地グスクの現況・その他
ヒニグスク北中城村字喜舎場(嶽根原)未訪、進入?
ミー(北中城村)グスク北中城村字大城探訪、拝所有り
安谷屋グスク北中城村字安谷屋(若松公園側)探訪、拝所有り
大城(北中城村)グスク北中城村字大城探訪、遺構少し残る
熱田マーシリグスク北中城村字熱田探訪、拝所有り

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中城村

中城間切りは、現在の中城村と北中城村を合わせた領域だったといいます。軍用地で行政が分断されたおかげで、北中城村 が分離し、残ったのが中城村となっています。歴史で有名な戦国武将「護佐丸」の居城中城グスクも、世界遺産に登録され一躍 有名になっています。


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グスクの位置図

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中城村

グスク名所在地グスクの現況・その他
新垣(中城村)グスク中城村字新垣(福川原)探訪、遺構少し残る
台グスク中城村字久場(台城原)探訪、拝所有り 
中城グスク中城村字泊(中城城跡公園)探訪、世界遺産

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西原町

西原間切りは、第二尚氏王統の始祖「尚円王」が住んでいた「内間御殿」の屋敷跡があることで知られています。 この西原間切りに、那覇市の安謝・天久・末吉・平良・石嶺等が、そして津堅島まで含まれていた事を知ったときは驚きました。 現在、多くの人々の記憶から忘れ去られていると思いますが、首里王府の「御持間切」の西原は大きな間切りだったんですね。


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グスクの位置図

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西原町

グスク名所在地グスクの現況・その他
幸地グスク西原町幸地(城址公園)探訪、遺構少し残る
イシグスク西原町字千原探訪、遺構ナシ
棚原グスク西原町字棚原探訪、拝所有り
津喜武多グスク西原町字小波津探訪、遺構ナシ
与那城(我謝遺跡)西原町字我謝(与那城ハイツ)探訪、今はナシ

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浦添市

古琉球の王統、瞬天・英祖・察度王統の本拠地浦添グスクのある浦添間切りは、現在の宜野湾市一帯も含む大間切り だったといいます。三山時代の中山の本拠地浦添グスクは、去る大戦でその姿を失いましたが現在、復元や発掘調査中 でその復元に大きな期待が寄せられています。


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グスクの位置図

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浦添市

グスク名所在地グスクの現況・その他
グスクジョー浦添市字勢理客(沖縄食糧内)未訪、遺構少し残る
ジングスク浦添市字前田探訪、今はナシ
デーグスク浦添市字宮城探訪、今はナシ
伊祖グスク浦添市伊祖(伊祖城址公園)探訪、遺構残る
浦添グスク浦添市字仲間城原(浦添城址公園)探訪、遺構残る
屋冨祖グスク浦添市字屋冨祖探訪、拝所有り
皇グスク浦添市字城間探訪、拝所有り
沢岻グスク浦添市字沢岻探訪、拝所有り
内間グスク浦添市字内間探訪、拝所有り

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