奥間グスク | グスクへの道標

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ロゴ画像

撮影:奥間グスクの丘陵

沖縄県:国頭村位置図     

奥間グスク


(オクマグスク・見里森グスク・アマンチヂ)
所在地:国頭村字奥間

★グスクの概要

    ・史跡指定: ナシ

    ・築城者:  ?

    ・築城形式: ?

    ・標高:約110m

    ・面積: ?

    写真集を見る(43枚)


●奥間グスクは、奥間小学校の南側丘陵上に位置するグスクで、地元ではグスク(別称アマンチヂ)とも呼ばれ、 部落発祥の山として信仰の場所になっています。
奥間小学校の側にある「土帝君」の広場奥北側から緩やかなカーブを描きながらグスクへの道が頂部に延びる、 グスクはやや南北に長く、南が「へえの御殿」、北側が「にしの御殿」と呼ばれコンクリートの祠があります。
このグスクも「琉球グスク研究」當間嗣一氏著書のなかで「土より成るグスク」の一つとされ、堀切・土塁・ 切岸等が確認されており、防御されたグスクだという現実味がおびるグスクのようです。
・奥間の「土帝君」
●この奥間の「土帝君」は、毎年旧暦の2月2日に土帝君祭が行われていましたが、今年5年ぶりに?祭が執り行われた そうです、この土帝君祭りで「ミミチングリー」と言う変わった儀式があり、両腕を交差して両耳をつかみ「土帝君」 にむかってお辞儀するといいます、奥間グスクに行く時、この「土帝君祭」を見物しながらはどうですか・・、人も大勢 いるし安心して散策できると思います。
・国頭村奥間
●かつての国頭間切りは、大宜味間切りが分立するまで大宜味間切りの大半を含む領域だった、分立した後、 番所(享保17年 西暦1732年 日本では徳川幕府の時代で享保の大飢饉があった年)を奥間村に移した。それ以後、 村役場を辺士名に移すまで奥間村は国頭間切りの中心地だったそうです。

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辺士名の空中写真

写真0-1

「沖縄県公文書館所蔵資料」の中の1946年に撮影された、辺士名の空中写真です。現在、「沖縄県公文書館所蔵資料」の写真が公開されています。戦後の風景や政治を動かした大物政治家等が写っています。覗いて見てはいかがでしょうか。

奥間グスクの空中写真

写真0-2

奥間グスク付近の拡大写真です。

案内地図

写真1

奥間交差点を右折して約285m程進み、左折して奥間小学校方面へ向かう、直進して進むと奥間小学校に至る、「土帝君」入口だ。

グスク地形図

写真2

奥間小学校の脇に「土帝君」入口があり、コンクリートの階段を登ると「土帝君」に至る、細長い広場の北側にグスク入口がある。

写真3

中国より伝わった農業神「土帝君」が祀られている、地元では「トーチーク」と呼ばれています。側の老木(珍木?)も見事だ。

写真4

土帝君広場の北側の入り口より、曲がりくねったグスク道がグスクの頂上部に続く、下草もなく歩きやすい。

写真5

虎口より南側の「南の御殿」方向を望む、細長い。

写真6

グスク南側の端に「南の御殿」の拝所があります。

写真6

虎口より北側の「にしの御殿」方向を望む、「南の御殿」方面より長い。

写真6

グスク北側は、ゆるやかな登り勾配で「にしの御殿」へ続いており、「にしの御殿」の広場はやや広い。

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