グスクへの道標
沖縄本島のグスク案内サイト
沖縄の各地に残るグスクには、魅力的なグスクがたくさんあります。晴れた日には友達誘ってグスク探訪に
出掛けてみませんか。
撮影:浦添グスクの丘陵(撮影:2004年)
浦添グスク
(ウラソエグスク)
所在地:浦添市字仲間城原
★グスクの概要
史跡指定:国指定史跡
●三山統一迄の中山の本拠地である浦添グスクは、浦添市仲間集落の背後、琉球石灰岩丘陵の東端に築かれたグスクで、その規模は
東西約380m、南北約60m~80mとなっており、東側が古グスク、西側は新グスク(ミーグスク)と呼ばれ
ています。さる大戦の激戦地「前田高地」で、その遺構が分からない程でしたが、近年の発掘調査で全貌が
解き明かされつつあります。
浦添グスクの歴代王統
・瞬天王統・・源為朝の子と言われる瞬天王から二代目瞬馬順キそして三代目義本王と三代72年続いたと伝わります。
・英祖王統・・太陽の子(テダコ)と呼ばれた英祖王から大成王・英慈王・玉城王・そして五代目西威王まで約90年
続いたと伝わります。
・察度王統・・羽衣伝説の天女の子と呼ばれた察度王から武寧王まで二代約56年続いたと伝わります。そして尚巴志
が三山統一して首里に遷都すると同時に廃城になったと推測されています。
浦添グスク一帯の空中写真
「沖縄県公文書館所蔵資料」の中の1954年10月2日に撮影された、浦添グスク一帯の空中写真です。現在、「沖縄県公文書館所蔵資料」の写真が公開されています。終戦直後の沖縄が見えます。覗いて見てはいかがでしょうか、懐かしい風景や見た事がない各地の空中写真がいっぱいあります。※特に各集落の写真も必見です、公民館に飾るのもいいかもしれません。
浦添グスクの空中写真
1954年10月2日の拡大写真です。採石で失われた古グスクの輪郭が見えます。
案内地図
グスクへは、安波茶交差点から牧港向けに約300m余進むと案内表示板があり右折して入ります。道なりに進むと駐車場に着きます。
概略図
さる大戦で激戦地になり地上遺構が残らぬ程破壊を受けた上に、戦後は砕石で古グスクの大部分が失われました、これは1948年に米軍が作成した地形図を元に復元したものです。
沖縄の歴史学者「伊波普猷」の墓です。
駐車場からようどれの側を通りグスクへ向かう道です。途中右手に伊波普猷の墓があり、その説明板が建てられています。
やはり激戦地を物語る様で、陣地壕の跡に慰霊碑等が建てられています。地上遺構もほぼ皆無です。
現在、ここの城壁は復元されています。これは復元前の根石の状況写真です。
表門があったと言われる付近には、点在するように城壁が見えています。
グスクの表門があったと言われる所です。発掘調査で発見されたものか、根石が見えます。
浦添小学校の南側、県道38号線沿いのガソリンスタンド横の道から見た浦添グスクの丘陵。
想像ですが、城門に使われた石ではないかと思います。見事な石工技術です。
グスクジョー ジングスク デーグスク 伊祖グスク 浦添グスク 屋冨祖グスク 皇グスク 沢岻グスク
内間グスク
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