グスクへの道標

沖縄本島のグスク案内サイト
沖縄の各地に残るグスクには、魅力的なグスクがたくさんあります。晴れた日には友達誘ってグスク探訪に 出掛けてみませんか。


ロゴ画像

撮影:島尻大里グスクの丘陵

沖縄県:糸満市位置図     

島尻大里グスク


(シマジリオオザトグスク、南山グスク、高嶺グスク)
所在地:糸満市字大里(小字桃原)

★グスクの概要

  史跡指定:ナシ

●三山時代の南山の本拠地で、英祖王の子の大里按司から4代目の南山王「他櫓毎」までの約100年間の 南山王の居城と伝わります。この城跡は大正年間に小学校が建設され、その時にグスク域の約5分の4が 学校敷地となり城跡が失われました。現在、残っている石垣は後世のもので、本来の城壁は野面積みの 城壁で北側崖上に僅かに残るだけです。
・南山攻め
伝承では、1429年南山王四代目の「他櫓毎王」の時、田園の水源「嘉手志泉」と中山の尚巴志の持つ「金屏風」を 交換した為に人心が南山を離れ、その頃合いを見計らい、中山軍は南山に総攻撃をかけ落城させ「他櫓毎王」は捕虜になり 南山は滅びます。この時、中山軍を迎え撃って奮戦したのは、王弟南風原按司守忠「唐名:阿衡基(あこうき)」の軍勢 だったといいますが、百戦錬磨の中山軍を支える事が出来ず、南風原按司は敵軍に紛れて逃げ延びます。世にいう 「南山崩れ」です。南山の末裔はこの南風原按司守忠の子孫で阿氏一門と言われています。

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案内地図

写真1

糸満市字大里の大里集落の西側にある高嶺小学校の敷地が南山城跡となっています。城跡の南側に高嶺中学校、東側に県道7号線を挟んで嘉手志川があります。

グスクの想像図

写真2

学校の建設で失われた南山グスクですが、大正時代の南山城跡の実測図があり、それを参考に描いた想像図です。あくまでも個人の想像図ですので正確性はありません

写真3

県道7号線の交差点を国吉集落向けに右折したすぐ右側が高嶺小学校になっており、すぐに分かります。

写真4

大きな鳥居があり、入ると南山神社となっています。

写真5

北側に残る石積みの背後のグスク内です。

写真6

グスク内の東側の状況です。

写真7

グスク内の東側ですが、右側の丘陵境い目に、本来のグスクの城壁があったと思われます。

写真8

南山神社敷地から見た東側です。一段と高くなった部分に城壁があっただろうと思われます。

写真9

グスクの北側に残る野面積みの城壁です。

写真10

グスクの北側から東側に残る野面積みの城壁です。

写真11

グスクの北側に残る野面積みの城壁です。

写真12

グスクの北側から東側に残る野面積みの城壁です。

写真13

この位置に、南山グスクの正門があったと思われます。※国吉グスクの丘陵が正面に見えています。

写真14

正門跡の前のグラウンドに砂場がありますが、これは南山城跡の実測図の中の池を砂場にしたのでは・・・。

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同じく、南山城跡の正門のあったと思われる所です。


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