船越グスクとかつての船越ターブックワー(稲作の水田地帯)を支えた船越大川を案内します。 ~拡大します。
糸数入口の交差点より、船越向けに100m足らずの距離にある、船越集落に入る入口の道路脇から見たグスクの丘陵を拡大したものです。
糸数入口交差点を過ぎて右側にある舩越集落への入口で、奥の電柱脇に船越大川の案内標識が見えます。
舩越集落に入ると、左に農業用のプレハブがあり、その先にグスクへ向かう道路入口があります。
農業用のプレハブを過ぎると、左手に二階建ての民家があり、その先右側がグスクへ向かう道路入口となっています。この住宅地の坂道を上りきった所に旧ゴルフ場入口があります。
これは、2005年に撮影したもので、その頃は側にクラブハウスがありました。
上記と同じ位置からの撮影で、2015年に撮影したものです。入口もグスク内も綺麗になっていました。
グスク入口と標識です。
船越グスクの縄張り図入りの綺麗な標識です。南城市教育委員会凄いですね。どこかの村に見習ってほしい所です。 ~拡大します。
船越グスクの縄張り図です。大きな岩が三つに割れた感じがします。割れ目に架けられた岩も図示されています。フィツシャー(岩の割れ目)のあるグスクの特徴の一つです。
標識の側を通り、右手の岩を過ぎると、右側にグスクへの石段があります。正面に拝所があります。
城門への石段です。所々に石段が残っています。
上記と同じ石段です。
船越グスクの城門跡です。
グスク内から見た城門跡ですが、かなり段差があるように見えます。しかし道路からグスク迄近いこと、糸数グスクを訪れる時にはこの船越グスクもお勧めです。時間がかかりません。
上記と同じ城門跡を少し奥から撮影したものです。
城門への石段脇にある城壁で、下から積み上げられており高さがあります。
城門跡を入って正面に見えるグスク内です。2005年の撮影で、3枚続けます。
グスク内から見た入口方面です。
グスク内にある拝所です。
上記と同じ方向からの写真で、2015年の撮影です。次はパノラマ写真を4枚続けます。
拝所後方から見たグスク内の状況です。クリックすれば拡大します。
城門跡から見たグスク内の状況です。クリックすれば拡大します。
城門跡から見たグスク内の状況ですが、これは3枚をつなぎ合わせて視野を広くしたものです。クリックすれば拡大します。
西側から見たグスク内の状況です。クリックすれば拡大します。
三つに割れたようなかんじの割れ目です。
城門脇の大きな割れ目を塞ぐ石積みです。敵兵の割れ目からの進入防止を目的としたものです。その上は城壁として積み上げいます。
上記と同じ写真です。
城門脇から北側に走る大きな割れ目です。少し浅くなっているように見えますが、長い年月で埋まったように見えます。
上記と同じ割れ目です。
上記と同じ割れ目で、北側の深い場所です。
北側の割れ目を塞ぐ石積みで、野面積みですが、緻密に積み上げられておりガッシリとした感じがします。
東側の割れ目から続く西側に走る割れ目と、そこを塞ぐ石積みです。
上記と同じです。
北側に走る割れ目に架けられた石橋です。
上記と同じ写真です。
これは、西側に走る割れ目に架けられた石橋です。
これは、帰りに北側から撮影した写真です。
城門脇東側の城壁です。
東側の城壁で、良く残っています。
上記と同じ東側の城壁です。
この写真も東側の城壁です。
東側の城壁です。
これも東側の城壁です。
このグスクで、唯一城壁の少ないヶ所です。
グスク入口から西側に向かって走る、南側の城壁です。
南側の城壁で崩れずに残っているようですが、ガジュマルにしっかり絡みつかれています。
グスク入口の正面にある拝所です。この拝所の横から西側の崖下を通る細い道があり、古墓が多数あるようです。
入口正面の拝所右側がグスクの西側断崖下になっており、さらに拝所があります。
上記と同じ写真で、西側の崖と崖下の拝所です。
上記と同じ写真で、これは西側の崖下を通る通路です。
これは、グスクの入口脇にある拝所だったと思います。記憶が曖昧なためハッキリとは言えません。
「船越大川」へ
船越大川の入口に建てられた標柱。
入口を入った所の馬アミシーの所で、水遊びや釣りを楽しんだ場所と、標識に記載されています。
船越大川内の標識で、水の使われ方や、かつて船越田袋(ターブックヮー)を支えた水源地と記載されています。豊かな水田地帯だった事が分かります。
馬アミシーの上の水源地への通りです。
説明書き通りに、左右の異なる樋があり、左側が女性、右側が男性が使用したヶ所と言われています。残念ながら水は枯れているようです。
最後に、集落入口から撮影したズームなしの写真をご覧ください。