大正8年の測図で、標高約93m前後の丘陵がここに存在していたことが分かります。その丘陵自体が米軍の砕石や開発等で消え、今は僅かに公民館後方の丘陵を残すのみとなっています。
越来グスク公園入口と拝所です。標柱や標識等も整備されています。
越来グスクの標識です。
上記の写真と同じ標識で、拡大したものです。
越来グスクに関連する年表をまとめたものです。
公園入口から見た公園内の様子です。
同じく、公園入口から見た公園内の様子で、右側の建物は公民館になっています。
公園内から見た拝所です。
上記の写真と同じ公園内から見た拝所です。
公園の奥から見た、公園入口と拝所です。
公園内の様子です。トイレや遊具施設等が設置されています。
三角点から見た、公園内と市街地です。現在、公園内から三角点には行けません。
三角点付近に残る石です。グスクの城壁に使われていたかもしれません・・・
公民館横の東側道路です。
北側の道路からの撮影で、かって、米軍の高射砲陣地もここが入口でした。丘陵の右上に高射砲陣地が、その下の広場にはかまぼこ型の兵舎があった記憶が残っています。
北側の道路で西側の農連方向に走っています。
南西側からの撮影です。
丘陵の内部は、住宅地になっています。
目の前の木の後ろ辺りに兵舎が建っていたと思いますが・・・
公民館の後ろの拝所(井戸跡?)です。名称等は分かりませんが、グスクの丘陵の復元図に重ねると聞き取り調査の「グスクの井戸」ではないかと思われます。
最後に、1950年代頃に残っていた越来グスクの残存部を、子供の頃の記憶を頼りに地形図にしてみました。記憶の範囲で描いたものですので、大まかな感じで見て下さい。