比嘉集落の北側から丘陵を撮影したものです。
比嘉漁港から比嘉グスクの丘陵を撮影したものです。
比嘉グスクへの入口です。拝所の手前左側に駐車場があり、右端にグスクへの階段入口が開いています。
「地頭火ヌ神」と云われる拝所です。手前が駐車場で、側に旧公民館だった建物があります。
勾配のある階段が、丘陵の頂上部へ続いています。
階段を上る途中で撮影したものです。
主郭への取り付け階段手前で、振り返って撮った写真です。アマミチューの墓がある小島が見えます。
主郭の岩山頂部へ取り付けられた階段下には、旧石積みの階段が崩れた石が散乱しています。
崩れ落ちた石積みです。
コンクリートの階段真下に残る石積みの階段跡です。※この階段や擬木柵の工事の時に着手前の写真等があるはずですが、いつか標識を建てる際は、写真の掲載をして欲しいものですね。
浜グスクの城門跡
浜グスクの城門跡の写真は、當間嗣一著書(浜比嘉島小史)中に掲載されています。この城門跡の写真を見た時は感動しました。歴史研究者の貴重な写真の一枚で過去の浜グスクの城門跡が分かります。※インターネットで「浜比嘉島小史」を検索
浜グスクの城門跡
同じく浜グスクの城門跡の写真は、金武正紀著書(浜比嘉島の遺跡)中にも掲載されています。※インターネットで「浜比嘉島の遺跡」を検索
城門跡に向かって左側の現況です。大量の崩れ落ちた石が見られます。
右側は、急峻な崖状になっており、崩れ落ちた石が見えません。深い谷間になっていそうです。
崩れ落ちた所は、興味深い所で、階段状に石が積み上げらた様に見えます。
上記の写真と同じヶ所から、下の方を撮影したものですが、写真の上の中央に墓の門構え見たいな物が写っています。墓か?屋敷跡か?・・・いつか分かりませんが確かめたいと・・・
上記の写真と同じ門構えのある崖下には、古い墓?それとも陣地壕の跡?があり、気になるのは写真の左側の石積みやガマの辺りの黒いスス状の色や、崖にはめ込まれた石が見えます。火炎放射の跡?ここも激戦地だった・・・
さてと、気を取り直しコンクリート階段を上り主郭の頂上部の城門跡へ向かいます。
両側に崩れた石積みの残る城門跡です。
城門跡から、上って来た階段を見下ろした写真です。
頂上部の内部から見た城門跡です。
城門跡の脇に残る石積みです。
同じく城門跡の脇に残る石積みです。
城門脇の石積みです。
頂上部の周りは、写真の様な崖状になっています。
頂上部には、安全の為に擬木柵が巡らされており、その柵の外側崖沿いには野面の石積みが現存しています。
同じく擬木柵と城壁です。
同じく擬木柵と城壁です。
同じく擬木柵と城壁です。
同じく擬木柵と城壁です。
比嘉グスクの頂上部にある、大型の貝の祀られた拝所です。
同じく位置を変えて撮影したものです。
これも同じく位置を変えて撮影したものです。
拝所です。2020年拝みが絶え荒れた感じの拝所が多い中、この比嘉グスクの拝所はまだ生きている様に見えます。
城門から見た向かいの丘陵の写真です。
東側から見たグスク内の写真です。
西側から見たグスク内の写真です。
グスクから見た平安座島の遠望です。
ここからは、浜グスクへ
階段入口から、浜集落に続く道を登って行きます。途中左側に廃校になった比嘉小学校の跡があります。
比嘉小学校の跡を過ぎて、坂道を登り切って進むと先に浜グスクの丘陵が正面に見えて来ます。
浜集落に続く下り坂の手前に、土地改良区の農道と交差する十字路があり、その位置から撮影したものです。
浜グスクへの入口は探しずらいので距離で説明します。交差点の農道入口から、約125m位進んだ右側に丘陵への入口が開いています。
浜グスクへの入口から見た、グスクへ続く道です。この浜グスクは調査か何かない限りもう入れないと思います。今回、撮ったグスク内の写真でも分かると思います。
入口から、20数メートル位歩くと写真の様な広場に出ます。グスクへは右に石段がありますので、そこへ向かいます。
丘陵へ入る手前に、段差のある所があり、石段が取り付いています。
何とか木をかき分けながら進みましたが、城門付近に近づいた所で写真の様にジャングル化しており入れず、引き返しました。
石段のある場所迄まで、引き返しましたが、諦め切れずに戻り、このよじ登れそうな場所を見つけてグスク内に入って見ました。
よじ登った崖上にあった野面の石積みです。
よじ登った崖上から見た、グスク内の状況です。何にも見えない状態で、中に入れば灌木に埋もれてしまいそうな感じです。
最後にもう一枚、帰り道の途中、浜漁港緑地広場の公園駐車場から撮影したものです。