糸数グスク概略図
糸数グスクの構えを、大まかに描いてみました。訪れる時の参考にして下さい。※2020/2月/26/日現在、測量調査で裏門ルートが綺麗になり、その姿を表しています。見学するならチャンスですが、危険なヶ所は無理せずに見学して下さい。写真は裏門ルートのアルバムに掲載しています。
南部観光総合案内センター前の交差点を、糸数入口交差点向けに約100m程進んだ左側にグスク入口があります。
糸数グスクへの道路入口で、入って進むとグスク内に入れます。※長い間、裏門跡地と思っていましたが、間違いでしたスミマセン。訂正します。
グスク内に入ると、広場の正面に標柱と標識が建てられています。
標柱の横から、グスク内に道路が続いています。
チナウチ(糸数グスク之嶽)
道路を入った所で、右側に「糸数グスク之嶽」と呼ばれるイビ?の場所があります。
道路を真っ直ぐに進んだ先、南西側の広場です。
標柱の側の道路を挟んで斜め右側辺りにある拝所「糸数城之嶽」に向かいます。
低い石積みで囲まれた聖域があり、中央の高い岩が「糸数城之嶽」と呼ばれる拝所だそうです。
拝所を囲う石積みと神名の記された表札が建てられています。
糸数城跡「神名:モリテル御イベ」と記載されています。
拝所の全景です。
拝所脇にある5つの石灯篭。
拝所の南側にある広場に向かいます。
南側の西寄りには、石積みで囲われた場所が幾つか見られます。按司館もここにあったのかと想像が膨らみます。 ~拡大します。
北のアザナ
城壁の一番高い所で、標高約189mあると言われる北のアザナ(見張り台)です。この写真は糸数無線中継局のある、東側の農道から撮影したものです。
上記と同じ農道からの撮影で、道路正面は城壁が復元される前に農道が通っていたヶ所で、石積みの積み方と色合いで、開いていた形状が分かります。
農道の突き当たるヶ所から、北のアザナの城壁を撮影したものです。
上記の写真と同じ北のアザナの城壁です。
南のアザナの城壁下からの撮影です。写真の順序がとんだりしています。ご了承ください。
北のアザナの城壁の外側で裏門方面に続く城壁です。
城壁を復元する前に開いていた旧農道の道路です。
北のアザナの城壁下側から、城門跡へ続く所の城壁で、旧農道が開けられていたヶ所が石積みの色で分かります。
城門跡(正門)
古い形式の楼門だと言われる城門跡です。
城門を挟んで野面積みと布積みの城壁が対象的なヶ所です。
上記と同じヶ所を、離れたヶ所から撮影したものです。
城門跡をグスク内から撮影したものです。
上記と同じヶ所を、按司墓に向かう途中で、振り返り撮影したものです。
城壁の全面に防御のため、三方を見渡せる雉(出丸)を配した見ごたえのある城壁。
これも上記と同じヶ所を離れて撮影したものです。
雉(出丸)の城壁です。野面積みから布積みへ、時をえて積まれた事が分かります。角度の異なる写真を3枚続けます。
南のアザナ
南のアザナの城壁下からの撮影です。
上記と同じ、南のアザナの城壁下から撮影で、木の枝を入れて見ました。
綺麗で見事な城壁です。この構え見たことがありませんか・・・、そうです中城グスク・座喜味グスク・安慶名グスクにも、似たような同じヶ所があります。
南のアザナの城壁上から撮影したものです。南部随一を誇る城壁と言われるのもうなづけます。
北のアザナの城壁上から西側方面を撮影したものです。思うにこの西側へ続く城壁が低いのは、もう少し急峻な崖状になっていたのではないかと思いますが・・・。
もう一つの野面積みの雉(出丸)の背後の写真です。
これもグスク内の城門跡から撮影した、北のアザナへ続く城壁です。
裏門跡から北のアザナへ続く城壁です。
2003年に訪れた時に撮影した復元中の城壁です。
上記と同じ復元中の城壁です。
城門跡を入り、按司墓の手前で振り返り撮影したものです。
糸数按司ノ墓
グスク内にある「糸数按司之墓」です。
上記の写真と同じです。
糸数按司之墓の碑です。
奥武島や具志頭方面の景色が見渡せます。
北のアザナから眺望です。
帰り道に見上げた北のアザナの丘陵が、絵になりそうで写真を1枚パチリ。晴れた日のドライブ日和に糸数グスクへどうですか・・・。
糸数グスクの裏門ルートを見る