世界遺産:勝連グスク、一の郭から見る眺望は素晴らしく360°のパノラマが広がっています。
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県道10号線寄りの東側から撮影したものです。
東グスクとも呼ばれる5ノ郭から撮影した上グスク(1~3ノ郭)の写真です。
世界遺産「勝連グスク」の標識です。
1ノ郭の入口にある、標識の中の縄張り図です。
最頂部の1ノ郭で、標高97.99m(三角点)あります。瓦ぶきの建物があったことが確認されています。
1ノ郭への石畳と階段で、3ノ郭と同じ構造になっています。なお1ノ郭の門は拱門であったと言われています。
1ノ郭より2ノ郭と3ノ郭を見たものです。
上記の写真と同じ2ノ郭と3ノ郭を見たものです。2003年の写真で、東グスクの発掘調査らしい風景が見えます。
上記の写真と同じです。
1ノ郭は眺望が良く、360°見渡せるようになっています。晴れた日の眺望は何とも言えない位美しい景色が広がっています。これは中城湾港の埋立地です。
同じく中城湾港で泡瀬地先と知念半島が見えます。
1ノ郭から2ノ郭へ続く道で、石畳道の保護の為か、転倒防止の為か、木造りの階段が設置されています。
勝連グスクの館跡がある2ノ郭です。7間6間(1間は約1.81m)の建物の礎石が綺麗に残っています。
西側の城壁で、3ノ郭から1ノ郭へ続いています。
2ノ郭の前庭と呼ばれる3ノ郭から見た、2ノ郭と1ノ郭です。
3ノ郭の門跡で、四脚門があったと言われています。
3ノ郭から4ノ郭へ続く道です。
4ノ郭から3ノ郭へ続く石畳道です。現在、木造の階段が取り付けられています。
勝連グスクの堅固さは、この3ノ郭へ続く道を見れば誰もが分かると思います。写真写りも一番いい所ではないかと思います。
3ノ郭前の4ノ郭です。
4ノ郭の広場から見上げた3ノ郭です。
4ノ郭の東側から見た、3ノ郭の城郭です。
4ノ郭から見た、3ノ郭の城壁で、他のグスク同様に石灰岩の岩山を取り込んで作られています。
3ノ郭の城門横の突き出た城壁です。風化した石の色が、復元した時期の違いを教えてくれます。
西側の3ノ郭下から、南風原御門跡へ続く復元された4ノ郭の城壁です。
3ノ郭の西側の城壁で、急傾斜地の上に突出部(雉?)を設けた城壁があり、水抜き穴も見えます。
西側の城壁で、3ノ郭と1ノ郭の城壁が見えます。
復元途中の4ノ郭の、東側城壁です。
2003年の写真で、復元調査が行われている感じです。奥に拝所が見えますが、名称が分かりません。
2003年の写真で、3ノ郭方面を撮影したものです。
上記の写真と同じで、2017年の写真です。
グスク内の井戸
4ノ郭内にある「マチダ・ナケージガー」と呼ばれる井戸です。
「マチダ・ナケージガー」の説明が記されています。
4ノ郭内の「仲間ヌウカー」と呼ばれる井戸です。
「仲間ヌウカー」の説明が記されています。
4ノ郭内の「門口のカー」と呼ばれる井戸です。
「門口のカー」の説明が記されています。
4ノ郭内の「ウタミシガー」と呼ばれる井戸です。
上記の拡大写真で、今でも水を湛えています。
「ウタミシガー」の説明が記されています。
4ノ郭内の「ミートゥガー」と呼ばれる井戸です。
「ミートゥガー」の説明が記されています。又、グスクの用水井についてですけど、グスク内に用水井がないのは、世界遺産のグスクの中で座喜味グスクだけですけど、どうなっているのか興味深いですね。
拝所
3ノ郭内にある「肝高の御嶽」です。
「肝高の御嶽」の説明が記されています。
2ノ郭内の「ウミチムン」火ノ神と呼ばれる拝所です。
「ウミチムン」火ノ神と呼ばれる拝所の説明が記されています。
2ノ郭内の「ウシヌジガマ」と呼ばれる拝所で、勝連グスクの抜け穴とも呼ばれる所です。
上記の写真と同じです 。
上記と同じ写真ですが、崩れ落ちた石で塞がっている感じです。
「ウシヌジガマ」の説明が記されています。
勝連の守護神「玉ノミウジ御嶽」と呼ばれる霊石です。この穴は2ノ郭の「ウシヌジガマ」に繋がっていると言われています。
勝連の守護神「玉ノミウジ御嶽」についての説明がなされています。
南風原御門への道
南風原御門前の状況で、坂を南風原漁港向けに下って行きます。
南風原御門をやく30m位下った所です。
上記の写真と同じ位置から振り返って撮った写真です。
南風原御門から約50m位降りた所で、前方に市道が見えてきました。
平敷屋の「ワイトゥイ」に抜ける道路側の入口です。
上記と同じヶ所から振り返って撮った写真です。「阿麻和利」・「百十踏揚」・「鬼大城」が通った道かもしれないと思うと、ロマンを感じます。
西原御門への道
西原御門へ続く道です。
上記と同じ、西原御門へ続く道です。
復元された、3ノ郭城壁と4ノ郭の南風原御門へ続く城壁です。まだ完全じゃありません。
4ノ郭の東側城壁です。こちらも高さなど完全じゃなさそうです、これから後を期待しましょう。
同じく4ノ郭の東側城壁で、3ノ郭城壁下に取り付いています。
同じく4ノ郭の東側城壁で、西原御門へ向かって外側を撮影したものです。
同じく4ノ郭の東側城壁で、西原御門へ向かって外側を撮影したものです。
東グスク下から、西原御門へ向かって撮影した西原御門側の城壁です。
西原御門から東グスクに向かう城壁です。
西原御門の発掘調査状況です。
復元が進む4ノ郭です。
復元図と模型
勝連グスクの復元予想図です。
勝連グスクの復元模型です。
同じく勝連グスクの復元模型です。
同じく勝連グスクの復元模型です。
同じく勝連グスクの復元模型です。
ここからは、「阿麻和利の墓」へ
住宅街の一角、岩山の下にあり、道路沿いを注意しながら進めば分かると思います。
国道58号線の読谷バイパスと県道6号線がぶつかる交差点を左折して、高志保向けに進みます。
左折して約400m位進んだ交差点で、右側に居酒屋「護佐丸」が見えます。この交差点を左折して入ります。
左折して入ると、すぐに二股の道路に出ます。左側の道路に入ります。手前の左側の道路には入らないように気を付けてください。
左折して約160m位進んだ先の右側に、「阿麻和利の墓」への道があります。
「阿麻和利の墓」への道路入口です。先に「阿麻和利の墓」の標柱が見えます。
琉球の歴史の1ページを飾る「阿麻和利」の墓です。
「阿麻和利」の最後について標柱に記載されています。
周囲は整然としており、拝みは絶えてないようです。
最後にもう一枚、駐車場よりの撮影。※2023年現在、この駐車場は移転されてありません。