仲栄真グスク
仲栄真・大川グスク共、写真が少ないので、第一尚氏ゆかりの地でもある富里・當山一帯に点在する尚布里・尚泰久王・百十踏揚等の御墓を案内します。
グスク写真集
尚布里・尚泰久王・百十踏揚の墓位置図
尚布里・尚泰久王・百十踏揚の墓の位置図です。なお尚泰久王の墓の側には、安次富金橋の墓が、百十踏揚の墓は、三津葉多武喜も一緒です。 ~拡大します。
「志魯・布里の乱」で歴史に名を残しています。県道38号線を、国道331号線向けに進んだ右側に墓があり、その最後については諸説ありますが、ここに墓が実在するとなれば、終焉の地としての説が信憑性があると思われますが・・・
県道38号線沿いの尚布里の墓入口です。
入口に建てられた標柱です。
標柱を拡大したものです。
尚布里の墓全景。 ~拡大します。
尚泰久王・安次富金橋の墓へ
県道48号線を国道331号線向けに進み、国道に突き当たる手前約90m右側に入口があります。
入口から入って、突当りにある尚泰久王・安次富金橋の墓への入口です。
墓入口から振り返り撮影した入口方面です。
コンクリート舗装された道路の入口脇に建つ標柱です。
標柱を左に見ながら進むと、大岩の崖下にある墓地が見えて来ます。手前の左側には標識が建てられています。
標識ですが、第一尚氏王統の系図の中の七男「尚布里」が引っ掛かりますが・・・
墓入口から撮影したもので、奥から安次富金橋、尚泰久王の墓となっています。
尚泰久王の御墓です。
奥に拝所ある、安次富金橋の御墓です。
御墓入口から撮影した、駐車場です。
旧国道331号線沿いのJAおきなわ玉城支店(Aコープ玉城店も同地所在)入口を奥武島向けに約40m程進んだ、道路の反対側に御墓の岩山があり、その道路脇に広い駐車場があります。
百十踏揚・三葉多武喜の御墓へ
仲栄真グスク側の駐車場から、南城市陸上競技場の東側を通る道路があり、その道路の右側に御墓入口があります。
陸上競技場のグラウンド側の御墓への入口で、標識が建てられています。
標識で、百十踏揚について記載されています。
仲栄真腹門中墓入口
百十踏揚の御墓は、標識に記載されているように、御墓が仲栄真腹門中の側に移されたので、百十踏揚の御墓の入口表記はありません。仲栄真腹門中之墓入口となっています。
御墓入口を入り、少し上ると、前方に御墓入口が見えて来ます。
御墓入口から撮影した御墓内部です。
右側が百十踏揚と三津葉多武喜のはかで、左側が仲栄真腹門中之墓となっています。
百十踏揚と三津葉多武喜の御墓です。
上記と同じ百十踏揚と三津葉多武喜の御墓です。
百十踏揚の墓地より仲栄真グスク方面を見た写真です。