道路左手に建てられている、大里城跡の標識です。
内郭の御庭と呼ばれる郭に建てられている標識です。
標識内の復元図を拡大したものです。
これは、2004年に撮影した入口の写真です。
上記と同じ時期に撮影した内郭への入口です。
上記と同じ時期に撮影した内郭への道です。
外郭から内郭への入口全景(2015年撮影)で、正面の丘の上が内郭で、右手斜面に拝所(ウタムトゥノーイ)が見えます。
拝所(ウタムトゥノーイ)です。
内郭へ入った所からの撮影で、正面の小高い丘が物見台になっています。
内郭の展望台南側下にある拝所(ウミチムン)ですが、長い間コンクリート作りの祠(私設の祠)がそうだと思っていましたが、その右側の目立たない石積の拝所がそうらしいです。写真にも写っていません。
再度、訪れた時も知らなくて、右側に僅かに写っています。
標識の右手後方にある拝所(スクナシカー)で、2004年に撮影したものです。
上記と同じ写真ですが、これは2015年に撮影したものです。
拝所(スクナシカー)より見た内郭の南側城壁です。
今まで、名のある城跡では礎石は建物跡に残っていましたが、このグスクだけはどうしてここに並べられているのか・・・
物見台の下からの撮影です。
2004年に撮影した物見台への道です。
これは2005年の撮影で上記と同じ物見台への道です。
大里グスクで最も高い地点(標高約155.26m)にある拝所(ウティンチヂ:個人の勝手な解釈では天を敬って御を付け御天の頂上)です。間違っていたら_(._.)_
晴れた日の眺望は良く、遠くに中城・勝連半島が見えます。
展望台下の「島添大里按司の墓」への道ですが、2015年?に訪れた時にはがけ崩れで「通行止め」になっていましたが・・・
内郭の南側城壁に向かって小道が続いています。
内郭の南側城壁です。※見た目で城門跡?。
左記の写真の位置を展望台から見た写真です。。
現在の内郭への入口右側の城壁です。
チチンガーの背後にも城壁跡が見られます。
外郭の道路脇にはブロック塀があり、その背後にも城壁跡らしい所があります。
内郭の西側から外郭の広場へ通じる道です。
通路脇にある「奥間ハンジャナシー前之墓」で、グスクとの関連はなさそうです。
上記の通路を辿ると写真の外郭の広場へ出ます。
チチンガー
チチンガー入口脇の道路に建てられた標識です。
城内に囲えば枯れるという伝説のチチンガー入口です。
降り井戸と呼ばれるチチンガーは、この先右に曲がって石段が下に続いています。
急な石段が下へと続いています。この井戸に似たような井戸を3枚続けます。
中城城跡のウフガー(大井)
「護佐丸」が増築したと伝わる三ノ郭の城壁に囲まれて、現在では降り井戸の形態になっているように思われる井戸です。
仲間グスク下のウーガー(大井戸)
糸満市の小波蔵集落の北側で、仲間グスクや安里グスク等がある丘陵下に位置するウーガー(大井戸)です。※仲間グスク(糸満市字小波蔵)を参照
安谷屋グスクのイーヌカー
中城村の安谷屋グスクのイーヌカーです。下りの階段が少ないので、降り井戸としてはどうか分かりませんが、似ている感じがしたので取り上げました。
階段を降りた先にあるチチンガーです。
近づくと水を湛えています。これも素人考えですが、この湧水の行き先は「シチャヌヒージャー」辺りではないかと・・・
井戸から振り返り撮影したものです。
井戸の築造には、相当な労力と石工の技術が使われているのが分かる所です。
帰りに撮影したチチンガー入口です。右側に飲食店があります、これから夏に見学した後で冷たい「ぜんざい」でもいかがですか。
(島添大里グスク地区の歴史文化資源)の写し
最後に、「島添大里城跡保存管理計画書」の中から(島添大里グスク地区の歴史文化資源)地図の写しです。城跡を訪れる際の参考にどうぞ。