北側(遊歩道)のグスク入口
グスクの東側、石積みが残るヶ所へと続く、急斜面に取り付けられた、遊歩道の階段入口です。近くに「摩文仁間尻ヌ殿内」があります。※2015年撮影
遊歩道の階段途中から見える摩文仁集落。
遊歩道の一番上からの眺めです。
平和記念公園の墓苑側から西側の「黎明之塔」へ続く遊歩道に出ます。矢印側が黎明之塔へ、その矢印下側が摩文仁グスクの城壁が残るヶ所。
遊歩道の左側に見える墓苑の状況です。これは、※2016年撮影
右側に見える「黎明之塔」に続く遊歩道。
遊歩道を少し進んだ先で、奥に「摩文仁の丘展望台」が見えています。先に進まず、東側に残るグスクの城壁を案内します。
グスクの東側
高摩文仁グスクの現存する城壁が、唯一、遊歩道の下に残っています。古い形式の布積みと思われます。南側から見たもので、矢印のヶ所が遊歩道が合流する地点です。※2015年撮影
これも南側からの撮影で、手前の左側に野面積みで大量の石が積まれています。
現存する城壁に、突合せたように野面の石積みが積まれていますが、これは、公園工事で支障になる、グスク内の城壁を工事で崩して、ここに運んで見栄え良く積んだのではと思われますが・・・。、布積みの城壁は、赤い線の方向に延びているように見えます。※2004年撮影
城壁に向かって右側の石積みが残る部分です。遊歩道の高さに差し障りがある高さまで、取り除かれた感じです。※2015年撮影
これも同じ写真ですが、矢印の北側の崖沿いに、積まれた石積み(方向)が気になります。※2016年撮影
これも同じく気になるところで、残っている石積みが、コの字型の石積みに見えます。手前の楕円形のヶ所は、布積みの城壁を崩して仮積みにしたように見えます。
布積みの城壁の上を撮影したもので、二方向に走る城壁の線が見られます。この東側の城壁は、想像出来ない位、複雑な構造に見えます。
遊歩道側から、南側斜面に向かっても城壁らしい石積み見られます。
東側の「鹿児島之塔」後方から見た、野面積みの南側斜面一帯です。奥の藪の中にも石積みらしきものが見えています。
藪の中の石積みを、望遠で拡大したものです。
この集積された石積みの奥に、元の城壁が残っている可能性はあると思いますが・・・。
流用された石積み?
「鹿児島之塔」後方の、区画に使用されている石材や遊歩道側等、城壁の布積みの石材らしいのが大量に使用されているのが分かります。
同じヶ所の石材です。
遊歩道を辿る
元の遊歩道に戻り、先に進みます。
奥の方に、展望台や階段が見えています。2015年撮影
黎明之塔へ続く階段を上がって所で、振り返り撮影した写真です。
「勇魂之碑」
展望台前広場の「第32軍司令部戦没者名碑」と「勇魂の碑」。
同じく、拡大写真です。
「黎明之塔」
「勇魂之碑」の背後で、グスクで一番高いヶ所の広場(郭)、「黎明之塔」が正面に、手前の右側にグスクの標識が見えています。
高摩文仁グスクの標識。
「黎明之塔」背後の丘陵先端部で、三角点が設置されています。※2015年撮影
同じヶ所を拡大したものです。手前の積み上げられた石は供養塔の「五倫塔(ごりんとう)」か?・・・。
裏門?
展望台の側から「健児の塔」へ下る遊歩道があります。ここに裏門が開いていたと思われます。
矢印の所が裏門跡?と思われるヶ所。
細い急な階段が取りついています。
「黎明之塔」側から撮影。右側に「司令部壕」への階段が見えています。
同じく、「黎明之塔」側から撮影。
階段を降りて、振り返り撮影したものです。
階段を降りた、最初の踊り場で、真っ直ぐが「健児の塔」へ、左側が「司令部壕」へ。
この階段の先の壕が、沖縄戦の「第32軍司令部終焉の地」。時の流れと世代交代・・・この摩文仁の丘に4回程訪れましたが、もう人影も見えません・・・。
「司令部壕」入口より、見上げた裏門跡?への階段。
先へ進みます。
進んだ先から、振り返り撮影。
更に降りて行きます。
ここまでの遊歩道の脇には、石段の跡らしい石積みの根石や石が見受けられます。
遊歩道の先が左に折れて、緑のトンネルになっているのが分かります。ここで(気が引けて)引き返しました。
南側の斜面
グスク域の南側斜面。左側下に石積みの跡、その前に通路らしきヶ所が見られます。
同じく、南側斜面、こうもさっぱり根石ごと、城壁を取っ払う必要性を感じませんが・・・。
斜面上の石灰岩部に沿って、所々に城壁の根石部分(赤い線)が前後に残っています。
斜面の上部。
遊歩道の下部にも、大量の石材が使用されています。
斜面上部の根石部分(赤い線)、何となく城壁のラインが分かる感じです。
展望台側からの撮影。城壁のラインが僅かに残っています。奥の矢印ヶ所が進入路に見える所です。
南側斜面の割れ目
展望台の手前に、南からやや北西寄りの方向に、大きな割れ目が走っており、ここにも割れ目に沿って城壁の根石部分が残っています。
同じヶ所ですが、根石部分や加工された石等、城壁のラインが想像出来ない位複雑に見えます。。
展望台の南側、奥の割れ目の方にも城壁の根石が残っているように見えます。心残りは矢印の右側にひょっとしたら石橋があるのでは・・・。
北側崖沿いの石積み
北側の崖沿いに残る、石積みや根石を、東側から辿ってみます。この写真は残っている城壁上の遊歩道から見た、西に向かって右側崖沿いに残る石積み。
これは、同じヶ所を東側に向かって撮影したものです。
「黎明之塔」に向かって崖沿いを辿ってみます。崖沿いに石積みが残っています。
東側に向かって撮影したもので、崖沿いの石積みと、グスク内側の石灰岩のラインを見ると、城壁のラインが見えてくる感じがします。
残っている根石部分がハッキリと分かります。
途中の突き出た崖沿いにも、それと分かる根石部分が残っていいます。
「黎明之塔」側の崖沿い、やはり根石部分が残っているのが分かります。
同じく、「黎明之塔」側の崖沿い。
東側に向かって撮影したもので、根石部分が見受けられないヶ所です。
順番がずれていますが、これは、「勇魂之碑」の背後。
最後に高摩文仁グスクの名前にふさわしい丘陵の写真。地上から、突き出たように見える、、高摩文仁グスク。高摩文仁グスクの写真で一番気に入っている一コマ。最後まで、お疲れ様でした。