護佐丸父祖の墓側入口
ウフガーへの入口手前、左側にコンクリート舗装の道路があり入ります。
コンクリート舗装の坂道を上ると右側に「護佐丸父祖の墓」への入口があり、墓を目指します。
入口を入り少し進むと、先の方に説明板が見えて来ます。
「護佐丸父祖の墓」の説明板です。
説明板を過ぎると先の方に「護佐丸父祖の墓」が見えて来ます。
「護佐丸父祖の墓」の手前、左側崖下にグスクへの登り口があります。
道の左側にある、グスクへの登り口です。
グスクへの登り口から振り返って撮った写真です。すぐ右側が登り口です。
登り口を拡大したものです。
手前の土手を登り、崖下沿いに続いている道を進みます。
少し進むと右側に大きく曲がっています。
右側に曲がると、前方の坂上に墓らしい所が見えます。赤い破線のように進むとグスク内へ出ます。
グスクの南側にある⑦の郭に出ます。まえの方が⑧の郭になっています。
⑦の郭から見た山田集落の遠望で、学校等が見えます。
⑧の郭の凸凹した小道を進んで行きます。
凸凹した道を進んで行きますが、周りは木々に覆われてグスクの遺構等分からない状態です。
最初に見る⑤の郭と思われる広場です。最初に入った広場やこの広場を見ると発掘調査でもありそうな感じです。
広場に出ますが、⑥ノ郭内部かハッキリ分かりません。
上記の広場から振り返って、来た道を撮った写真です。
上記の広場から⑦ノ郭の西側に続く道があり、入ってみます。
先が開けた所が見えます。
⑦ノ郭とみられる所です。
この広場も伐開されています。目の前に山田集落が見えます。
元の広場に戻り奥に進みます。相変わらず凸凹した道が続いています。
道先に大ガジュマルの木が見えてきました。周囲は木々に覆われて郭の状況がハッキリしません。
山田グスクの撮影ヶ所で、最も特徴的な大ガジュマルの木です。キジムナーが住んでいそうな木です。
大ガジュマルの木の側を通り、②ノ郭?と思われる所をさらに進んで行きます。
道に突き当たる感じで石積みが現れます。初めて遺構と分かる所です。
石積み遺構を乗り越えて進むと、切石積みの遺構が現れます、ここは山田グスクでも切石積みの見られるヶ所だと言われます。
さらに奥へ続いていますが、ここで引き返して大ガジュマルの木の背後に戻ります。
神アサギ側の入口
「護佐丸父祖の墓」入口から、歴史の道を北に進み「神アサギ」のある所に出ます。
「神アサギ」後方にあるグスク入口です。
同じく「神アサギ」後方のグスク入口です。
写真は振り返りながら撮って来たものですが、調査中の為か立入禁止の札が下がっています。
入口を入って少し進んだ先を右に曲がって進み、崖と岩のあいだを通ると2m位の段差の付いた崖があり、トラロープが張られています。
足場に気を付けながらトラロープにつかまり、崖上に登った所です。
緩やかな曲線を描いた、勾配のある道を登つて行きます。
道自体が凸凹した感じはないですが、足元に注意しながら進みます。
崖沿いを歩いている感じです。
勾配がない平坦に近い所です。
竹藪の開いた所を通って行きます。
竹藪の開いた所の先に、グスク内を思わせる所が見えます。
大ガジュマルの木のところに出ました。この山田グスクは城門跡らしいところの遺構が見えませんけど何処にあるんだろう・・・
国道からグスク入口へ
歴史の道を国道から辿って行きます。交差点から見る山田グスクの丘陵です。
山田グスクの下にあったと言われる旧集落(古読谷山村)の説明板、国道を入った所に建てられている。
説明板の拡大写真です。
喫茶店?前の道路から見下ろした写真で、2015年1月時点で崖崩れが発生していました。
喫茶店?に向かって左側に歴史の道があります。少し進んだ所で振り返って撮った写真です。
下り坂を下った所で、左側に石積みを伴った道になります。
道の正面に石段が見えてきました。
坂の上まで石段が続きます。石段を登つた左側にグスクへの入口が開いており、少し先の右側に「神アサギ」があります。
「神アサギ」を過ぎて「産井」の前から「神アサギ」方面を見た写真です。
「産井」を過ぎた先にある案内の矢印板です。前の方に「産井」の矢印板が見えます。
「護佐丸父祖の墓」への入口です。
入口から入って坂道を登りきった崖下に「護佐丸父祖の墓」があります。
立派な墓で手入れが行き届いています。
「護佐丸父祖の墓」からの遠望です。
メーガーへ
元のグスク入口です。ここから20数メートル先の左側に「メーガー」入口があります。
「メーガー」入口を入った所です。
メーガーです。まだ水を湛えて湛えています。
メーガーの左上に拝所があります。
このメーガーの前に使われている長い石は、船の錨(イカリ)に使う錨石だそうで新聞で読んだ事があります。どこから、誰が持ってきたのか興味深い・・・。