当間グスク

所在地:糸満市字喜屋武小字大石原

喜屋武の南端に位置する琉球石灰岩大地の丘陵に取りついた古道の当間坂(トウマビラ)、その古道の脇に 敵の進入を阻止するかのように築かれているのが当間グスクです。石積みが良く残っていますが、藪が酷く 全体像を見る事が叶わないグスクとなっています。


当間グスクへ

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平和創造の森公園から山城集落へ向かう途中、左折して上里集落へ向かいます。

当間グスクへ

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上里集落の外れを左折して入り、約220m位で束辺名グスクの入口で、当間グスク迄は約520m 程の距離です。

途中の束辺名グスク入口

途中の束辺名グスク入口

当間グスクへ向かう途中の右側にある束辺名グスクの入口。 👆~拡大します。

グスクの手前から

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グスクの手前、上里加圧機場の側から見た当間グスクの丘陵で、90°カーブの道路を 曲がった正面にグスクが見えます。

グスクの丘陵を正面から

当間グスクの丘陵

カーブを曲がった正面に見える当間グスクの丘陵を撮影したものです。👆~拡大します。

グスクへ

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当間グスクへは、現在、グスクの正門跡から入るルートはハッキリとは分かりません。この写真の 右側の赤い破線は「琉球グスク研究」の中で示されているルートで、もう一つルートも崩れた石積みの 箇所をよじ登って入るルートとなっています。※現在、辺野古への埋め立て砕石出しの為に、綺麗になっている 可能性があります・・・

グスクへ

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もう一つのグスク入口は、この写真の奥の小さいコンテナの横から入ります。

コンテナ横の入口

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このコンテナ横の入口は、私が入った時(1015年)はコンテナ横に1m幅位草がなく、背後にあるフェンス状の柵の 所だけ1m幅位草が生えている程度でした。草をよけて中に入れば岩場(崖沿い)になり、草は生えてない状態でした。

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グスク内へ

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フェンスを越えて中に入り、右側に曲がりグスクの崖沿いを進んで、よじ登れそうな所を探したら ありました。ここから入ります。

グスク内へ

グスク内へ

写真の赤線の部分が緩やかで、ここをよじ登りグスク内へ入ります。 👆~拡大します。

東側の城壁

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崖をよじ登った所の右側に見える東側の城壁です。

西側の城壁

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西側の城壁ですが、雑木に覆われ良く見ないと分からない状態です。

グスク内

グスク内

東側よりのグスク内状況です。 👆~拡大します。

グスク内

グスク内

西側よりのグスク内状況です。 👆~拡大します。

グスク内

グスク内

城門跡の東側よりの雉(出丸)の部分で、広さがあります。中のくぼみは旧日本軍のタコツボ跡らしいです。 👆~拡大します。

城門跡

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南側に向かって城門跡が開いています。城門跡へ続く坂道が南側に続いています。この時は確かめ ませんでしたが、先に城門跡へ続く道の入口があるかもしれません・・・誰かに期待しましょう・・・

城門跡

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城門横から撮影した城門跡の状況です。

城門跡

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これも城門横から撮影した城門跡の状況です。

西側の雉(出丸)へ

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城門跡から西側へ延びる城壁です。先に広がっている雉(出丸)が見えます。

北側道路よりの古墓

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当初、グスクを訪れた時、ここがグスク内への入口だと思い喜び勇んで入ったものです。「大里世」と 記載された古墓があります。

古墓

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「大里世」と記載された古墓で、由来は分かりません。

グスクの西側崖沿い

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古墓の後方に見える、グスクの西側崖沿いです。

石灰岩台地の外側から

グスク内

石灰岩台地の西側、土地改良区から撮影した当間グスクの丘陵です。👆~拡大します。

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