国頭村
かつての国頭間切りは、大宜味間切りまでをその支配下におさめる領域でしたが、1609年に行なわれた検地
でその石高は、沖縄本島の間切りの中でも下位のほうだったといいます。領域の割に耕作面積が少なく先人の苦労が
偲ばれます。※琉球の石高:薩摩藩による琉球侵攻(1609年)の後で行われた検地で、琉球王国の石高は約9万石
と言われています。
・国頭按司
一説では、国頭按司の居城は根謝銘グスクだったといわれる。
国頭按司の名が初めて文献に現れるのは、北山滅亡の1416年だといわれ、北山討伐に名護・羽地按司と共に中山軍に
加わったので、その後長く国頭按司として続いたそうです。