米須グスクの遠望
真壁から米須に向かう途中、県道7号線沿いから撮影した米須グスクの丘陵です。この米須から波平に向かって東西に伸びる丘陵上には、他に伊原グスク、波平グスクがあり、いずれも石積み遺構が良く残っています。※2005年撮影
米須グスク入口
この米須グスクの入口を探すのが難しいと考える人は、県道7号線から米須小学校のグラウンド沿いの道に入り、突き当りを右折すると写真の矢印の入口に出ます。※2014年撮影
同じく、拝所と米須グスクの標柱です。
この写真は、同じ位置の写真で、最初に訪れた時の古い拝所。前の写真で分かるように新しく建て替えられています。※2005年撮影
グスク入口と標識。※2005年撮影
同じく、グスク入口。
標識。※2005年撮影
2005年の撮影で、まだ舗装道路が整備されていない頃です。正面の小さい森の中にも拝所があります。
森の中の拝所。
拝所を過ぎた辺りから、雑草で道が覆われています。※2005年4月撮影
膝の上まで雑草が伸びていますが、人が通った跡を辿り前に進みます。
森の中に入ると、下草がなく歩きやすくなります。
3ヶ月後、前の写真の位置から少し進んだ先の様子で、グスク入口の石畳の道が見えています。※2005年7月撮影
一の郭入口
右側が一の郭入口、左側が拝所のある広場入口。※2005年4月撮影
3ヶ月後の同じ位置からの撮影、左側の拝所が建て替えの工事中、ちなみに右側矢印は外来ハブの捕獲ワナだと思います。20~30m位の長さがあるように見えます。※2005年7月撮影
入口左側の拝所
2005年の4月に訪れた時の拝所です。
3ヶ月後の新しく建て替えられた拝所、前の古びた拝所が懐かしい・・・。※2005年7月撮影
同じく、2005年7月に撮影した一の郭入口の石畳。
一の郭へ
2005年2月に撮影した一の郭入口の石畳、右側に二の郭城壁?が見られます。
城門への入口、当初ここが城門跡?かと、勘違いした所です。ここから、城門跡までS字カーブを描くように石畳が続いています。※2005年4月撮影
同じ位置から、2005年7月に撮影。
これもほぼ同じ位置から、2014年2月に撮影。
石段を上がり、少し入った所で、振り返って撮影したものです。
S字型の道の途中で、振り返って撮影。
同じ位置から、城門跡方面を見たものです。
城門跡へと続く道の右側に見える城壁。
一の郭の城門跡
米須グスクの一の郭の城門跡です。幅広い感じがします。2014年2月に撮影。
城門跡に入った所で、振り返り撮影したもので、S字カーブしているのが分かります。私見ですが、真っ直ぐに作らず、城壁下を通るような作りにしたのは、やはり防御機能を考えてのことか・・・。
郭内部に入った所から撮影した城門跡。2014年2月に撮影。
グスクのイビ
城門跡の正面に、米須グスクのイビがあります。※2014年2月撮影
城門跡の側面の石積み。
同じく、2005年4月に撮影したイビ。訪れる時期で内部の様子が変わります。やはり旧暦のウマチー(旧暦の2月・3月・5月・6月の各15日)に関係があるかも知れません・・・。
グスク内より、城門跡を見る。※2005年4月撮影
グスク内より、イビと城門跡を見る。
グスク内(一の郭)
城門跡を入った所から見た、右側のグスク内。
グスク内の西側より見た東側の様子。
イビの側に見える、石で囲まれたヶ所。
同じく、石積みが残る遺構。
グスク内の西側。
城壁
イビと西側の城壁。
同じく、西側の城壁。※2014年2月撮影
同じく、西側の城壁。※2005年4月撮影
城門跡の右側に続く、東側の城壁。※2014年2月撮影
北側に残る城壁。
同じく、北側の城壁。※2014年2月撮影
北側の城壁ですが、東側寄りには近づけない状態です。
北側の城壁で、崖沿いから撮影したものです。※2005年4月撮影
同じく、北側の城壁。
これは、どこだったか!!思い出せません。
西側城壁上の、三角点。
西側の城壁上に設置された三角点(矢印)です。※2014年2月撮影
三角点付近の城壁。
城壁上の三角点(標高:53.43m)です。城壁の上が幅広く感じられます。
二の郭へ
初めて訪れた時は、この二の郭の入口に気づきませんでしたが、遊歩道が整備されてからは、中が見通せるようになっています。城壁の上を歩いて反対側迄、出ることが出来るようになっています。
遊歩道側の城壁。※2014年2月撮影
二の郭の内部
同じく、遊歩道側の城壁。※2005年7
月撮影
これも、遊歩道側の城壁。※2014年2月撮影
二の郭入口付近の城壁。
遊歩道側の、ハッキリと分かる二の郭への入口。
入口を入ると視界が開け明るくなります。手前に城門跡?らしい石積み遺構が見え、その先に二の郭の城壁と思われる石積みが奥に続いています。この辺りの左側から拝所のある広場へ入れます。
この石積みが、二の郭の外郭城壁と思われますが、この右側にも石積み遺構が見られます。この石積み遺構を見る限り、伐開調査をすれば、二の郭の全貌が明らかになりそうですが・・・。グスク域の周りを伐開除根し、公園整備をして桜を植え、10~20年後の米須グスク公園の桜祭り、夢です。
二の郭内に残る石積み。
城壁の上を辿り先に進んで見ます・
先に入口らしい所が見えています。
大岩の間に出ましたが、ここが門跡?か、石積みで塞がれていたのかハッキリとしません。
振り返って撮影したもので、先に遊歩道側の入口が見えます。
大岩の間を出て、振り返り撮影したものです。
これも、二の郭内に残る石積み。
二の郭の西側の石積みで、一の郭の城門跡付近だと思います。
西側の石積みを辿るように上がると、拝所?らしき囲いの石積みがありますが、拝所かどうかはわかりません。
唯一の独特な拝所
二の郭の内部に広場があり、古びた拝所(「由来記」のコバウノ嶽?)があります。この拝所は沖縄県で唯一、独特な組み方がされた拝所だと思われます。その興味深い石組みを検証してみました。これは、あくまでも正面の石組みで、奥行きはわかりません。写真を見てアレ???と感じたものです。次の写真Aの脇石を水平に180°反転したものが写真Bです。門構えの組み方になりませんか!!!。この門構えの広さでは拝所の形にならないので、Aの位置に持ってきたのでは・・・個人の推測ですが。
拝所の石組みを赤い線で示したものです。どこでも見られる拝所は上に平たい石版を乗っけているだけですが、この拝所は違う事が分かり、相当古そうに見えます。
脇石のAを水平に180°反転した、脇石Bの写真ですが、どうです、ぴったりと上部の石とかみ合って門構えに見えませんか!!!。グスク巡りの楽しみ方の一つです。※ひょっとしたら糸満市史の「旧摩文仁村」編で米須グスクの麓の石垣沿いにあるといわれる「由来記」の中の「コバウノ嶽」ではないか・・・。最後までお疲れ様でした。