波平グスクの入口へ
糸満市向けに国道331号を進むと、左側に観光施設の「琉球ガラス村」があります。その入口から約200m程進んだ先の交差点で、右折して波平集落に入ります。
波平集落に入り、約350m程進んだ先の右側に南波平農村総合管理施設(南波平公民館)への道があります。右折して入ります。
右折して入ると、左側に波平公民館が見えます。
南波平公民館側の道路の突き当りで、正面の矢印がグスクへ向かう農道入口になっています。
南波平農村総合管理施設(南波平公民館)です。
突き当りに倉庫のような施設があります。グスクへは、その施設と右側のサトウキビ畑の間の農道に入り進みます。
農道を進むと、右側に農作業小屋が見えてきます。
農作業小屋の側から、丘陵へ向かって伸びる道が見えます。この波平グスクも長い間、入口を探せなかったグスクの一つです。※2014年撮影
グスクの丘陵入口から、振り返って撮影したもので、奥の方には公民館が見えています。
右側の拝所
草木に覆われてる状態を想像していましたが、見てください、このきれいな道・・・。先ずは右側の道に行って見ます。
曲がった先に拝所が見えます。手前の三角形の黒いのは多分、外来ハブの捕獲器?だと思います・・・・?。昔、似たようなワナが米須グスクの進入路にも置いてありました。
捕獲器を近くから撮影したものです。長い間、使われていないのか壊れています。
拝所に向かいます。
拝所の周りには標柱がなく、拝所名がわかりません。
拝所に向かって右側の土手下に井戸跡?らしき石積み遺構が見られます。
これも井戸跡?、爆弾(艦砲弾)?の跡にも見えますが・・・。
グスクの丘陵へ
来た道を戻り、丘陵へ向かいます。
少し進んだ先の丘陵入口、手前の石積や斜面一帯にも石積み遺構が見られます。これが畑の土留め石積みなのか?、グスクの郭の石積みなのかは分かりません。※2014年撮影
手前の石積み遺構を撮影したもので、ここで疑問が湧いてきます。畑の土留め石積みなら、石積みの高さ迄、畑の土がありそうですが・・・。
写真を拡大したものですが、左右共に地上より高く積まれています。
気を取り直して斜面を上がって行くと、右側に井戸跡?みたいな石積み遺構がありますが、深そうであまり近づけません。防空壕?、陣地壕?の可能性は・・・。
頂上部手前に露出した石灰岩があり、その間を通ると頂上部に出ます。ここがグスク入口かと思いましたが、よく見ると岩の間を石積みで塞いだ感じがします。
岩の間を抜けると、目の前に城壁と城門跡?が飛び込んできます。このグスクを探し当てた時の気分が何とも言えないですね。
このヶ所が城門跡?なのかはハッキリとしません、石段跡がハッキリしないし、城壁を崩して通り道を開けた感じもしますし・・・。
グスク内に入って、城壁の裏側を見たもので、野面積みになっています。
城門跡?を横側から撮影、手前の前に出るように積まれた石積みが気になります。又、前面の石積みが大岩との間に積まれているようです。
東側の通路へ
城門跡?を正面に見て、その左側にグスクの城壁と崖沿いに積まれた石積みの小さな郭があります。これは、その崖沿いの石積みです。右奥の矢印に注目してください。
このグスクの城壁と崖沿いの石積みに囲まれた、細長い郭の様な空間、奥の矢印が城門跡?、右側の矢印が前の写真で示した矢印の石で城門跡?の様な構えをしています。真ん中の矢印部分も城壁の遺構で、奥の城門跡?と共に、ここにも門構えがあったのではと考えさせられる所です。東側の通路はこのヶ所を出てすぐに右側に折れて、東側の城壁の下を通り、南側の斜面を下り、南側の入口通路と合流します。
東側の通路の途中で、振り返って城門跡?方向を撮影。※2014年撮影
同じく、東側の通路で、左側は崖沿いの様に見えます。
南側の斜面で、通路のここにも石段跡?の様な石積みが残っています。矢印を辿るように下りて、矢印の先の南側の通路と合流します。
南側の通路と合流した地点から、下りて来た通路方面を撮影したものです。
東側の城壁
東側の通路沿いに残る城壁で、露出した石灰岩を利用して城壁としています。もしかしたらこの岩の上が一番高いのでアザナがあるかも知れません・・・。
同じく、東側の城壁で南側の斜面まで、続いています。
同じく、東側の城壁。
同じく、東側の城壁。
同じく、東側の城壁。
南側のグスクへの入口
糸満市向けに国道331号を進むと、左側に観光施設の「琉球ガラス村」があります。その入口手前約190m右側の南側入口です。この道は農園に出入する入口みたいになっており、立ち入りの許可が必要かもしれませんので注意してください。
実はこの写真、グスクから降りてきて撮影したもの、前の写真の矢印ヶ所を曲がった所をグスク側から撮影したものです。もう少し進んで入口付近を撮影したかったのですが、犬に吠えられて引き返しました。
前の写真の位置からグスクへの入口(矢印)を撮影したものです。
矢印の入口を入るとあぜ道の様な通路がハッキリと分かります。ここからも人が通っているみたいで、草に覆われていません。
入口から振り返って撮影したものです。グスク内の伐採された様子と、この入口の伐採された木を見ると、つい最近調査でもあったのか・・・。
小道を進んで行くと、前に緑のトンネルが開いています。
緑のトンネルの先は、明るく開けているのが分かります。この入口手前から石段跡の様な石積みが南側のグスク下まで続きます。
南側のグスク下から、振り返って、来た道を撮影したものです。
左記の写真と同じ位置から撮影した、グスクの南側斜面です。大量の石積みが崩れており、そこを上がってグスクの南側に入ります。この南側の斜面一帯はチンマーサーと呼ばれる古墓で占められており、これが崩れてグスク道になったようにも見えます。しかしながら石段跡もハッキリとせず、グスク内にも城門跡?らしいところが見られない状態です。※チンマーサー(古墓)の説明は後述で。
上がる途中で撮影。古墓の石積が崩れた感じがし、それらしい石段跡も見つかりません。
南側のグスク内に入った所から、振り返って斜面を撮影したものです。
南側の城壁
古墓の上に残る南側の城壁。
同じく、南側の城壁で東側の城壁と繋がる角の部分。
グスクの内部
グスクの内部で、南側から見た北側の入口方面です。
北側の入口をグスクの内部から撮影。
北側の入口から、南側から西側にかけて撮影したグスクの内部。
西側の状況で、左側の西側は雑木で覆われて近づけません。
内部の拝所
グスク内部で唯一拝所と思われるヶ所で、石積みで囲われています。
古墓(チンマーサー)
南側より見上げた、南側の斜面一帯です。
斜面入口付近の石囲いで、規模の小さい古墓(チンマーサー)か?。
これも同じ石囲い。
斜面に向かって左側には、原形の残る古墓(チンマーサー)が階段上に連なっています。※このチンマーサーという名称は、石を積み上げて円く囲った拝所、石を積み回した古墓と、二つの意味を持っています。拝所としてのチンマーサーは、インターネットで調べると色々な場所に存在しています。又、古墓としてのチンマーサーは、仲間グスクの丘陵下、小波蔵集落外れの「国番ノ御嶽」の左側にも3基の古墓(チンマーサー)があり「ミサマ」と呼称されているようです。