グスクへの道標
沖縄本島のグスク案内サイト
沖縄の各地に残るグスクには、魅力的なグスクがたくさんあります。晴れた日には友達誘ってグスク探訪に
出掛けてみませんか。
撮影:北谷グスクの丘陵
北谷グスク
(チャタングシク、大川グスク)
所在地:北谷町謝苅
★グスクの概要
・史跡指定:ナシ
・築城者:?
・築城形式:連郭式
・標高:約44.7m
・面積:約15,500㎡
●北谷町美浜近く、県道130号線と国道58号線が交差する北谷交差点の東側丘陵(三角点:標高44.70m)に築かれたグスクです。グスクは、
東西約160m、南北約70mで、4つの郭からなり総面積約15,500㎡もある大きなグスクだといいます。
伝承では、英祖王の子「北谷王子」が配され、その子「金満按司」の名が伝わりますが、推測の域をでないと言われます。
・慶長の役(薩摩侵攻)の激戦地
慶長の役の激戦地といわれ、薩摩侵攻の時に琉球王府から雍肇豊佐敷築之興道(ようしほうさしきちくどんこうどう)がこの
北谷グスクに派遣され、薩摩軍との激戦で多数が戦死するほど奮戦しますが、首里城が陥落したとの報を受けた興道は悲憤し
自決したと伝えられています。
1947年の北谷グスク一帯の空中写真
「沖縄県公文書館所蔵資料」の中の1947年1月29日に撮影された、北谷グスク一帯の空中写真で、北谷トンネルの丘陵が削られ旧軍道1号線(現国道58号線)や北谷交差点も出来ています。
北谷グスクの空中写真
1947年1月29日に撮影された米軍による北谷グスクの拡大写真です。池グスクがあったといわれる丘陵は、北谷トンネルの上部以外まだ根幹部まで残っています。
1948年の北谷グスク一帯のの空中写真
「沖縄県公文書館所蔵資料」の中の1948年2月13日に撮影された、北谷グスク一帯の空中写真です。この頃迄は、まだ桑江村・博道村・北谷村等が軍に接収されず残っていますが、池グスクのあったと思われる丘陵の先端部分は削られて消えかかっています
北谷グスクの空中写真
1948年2月13日に撮影された米軍による北谷グスクの拡大写真です。この時点で、もし池グスクが北谷トンネルの上部から丘陵の先端部迄の間にあったとしたら、もう消滅しています。石灰岩丘陵上の北谷グスク、採石場にならず本当に良かったと思います。
案内地図
グスクは、北谷交差点の東側の石灰岩丘陵にありますが米軍基内となっており、ゲートは閉ざされて入ることは出来ません。
丘陵の復元図
2019年3月現在、北谷グスクはゲートが閉じられ立入禁止の状態です。グスク内に入った事はありませんが、情報や地形図を基に個人の想像できる範囲で描いたものです、参考程度に見てください。
2018年4月現在、ゲートは閉じられ入れません。※令和3年なってもまだゲートが閉まっています。(´;ω;`)???
グスクへの入口
ゲートばっかりに気を取られているうちに、既に返還され丘陵の北側部分で白比川沿いの施設用地は既に造成工事が進み、ゲートから配水池に通じる道路もフェンスで閉ざされています。何年か前に県道130号線から丘陵の斜面一帯で伐開工事が行われているのを見かけましたが進入路の工事とは思いませんでした。現在、進入路は2か所あるようで地図を作って見ました。