グスクへの道標

沖縄本島のグスク案内サイト
沖縄の各地に残るグスクには、魅力的なグスクがたくさんあります。晴れた日には友達誘ってグスク探訪に 出掛けてみませんか。


ロゴ画像

撮影:豊見城グスクの丘陵

沖縄県:豊見城市位置図     

豊見城グスク


(トミグスクグスク)
所在地:豊見城市字豊見城

★グスクの概要

  史跡指定:ナシ

    ・築城者:伝承では、南山王「汪応祖」

    ・築城形式:連郭式

    ・標高:約97.2m

    ・面積:約30.000㎡

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●漫湖に注ぐ饒波川の西岸丘陵上に、南山王のいとこ「汪応祖によって築かれたと伝わります。3㌶の 広さに3重の城壁と5つの城門を持つ大きなグスクで、1853年に来琉したペリー提督の報告書にも「およそ 8エーカーの大規模城」と記述される程の規模だったと言います。しかし、さる大戦による破壊や、砕石などで 城壁等の遺構は失われ今は見る事は出来ません。
・グスクの攻防
伝承では、南山が滅んだ後も、豊見城按司は中山に従わず抵抗を続けていましたが、中山王「尚巴志」の策略に はまり火攻めで落城したと言います。その後の伝承に、城への嶽上りは「ひのえの日」には禁じられたと言います。 この日に上がれば必ずハブが現れると信じられていたそうです。

※TOPの「お知らせのグスクの情報」を見る

那覇・豊見城市一帯の空中写真

写真0-2

「沖縄県公文書館所蔵資料」の中の1947年1月29日に撮影された、那覇・豊見城市一帯の空中写真です。現在、「沖縄県公文書館所蔵資料」の写真が公開されています。終戦直後の沖縄が見えます。覗いて見てはいかがでしょうか、懐かしい風景や見た事がない各地の空中写真がいっぱいあります。

豊見城グスクの空中写真(1947年)

写真03

1947年1月29日に撮影された豊見城グスクの拡大写真です。砕石で失われる前の外郭城壁と二の郭の城壁遺構がまだ残っている部分が見えています。こういう写真を見るとグスク好きにはたまらないですね・・・・。

同じく豊見城グスクと石火矢橋(1962年)

写真03

同じく1962年10月25日に撮影された豊見城グスクの拡大写真で、石火矢橋が写っています。

石火矢橋(イシバーシ)の空中写真

写真03

同じく1962年10月25日に撮影された石火矢橋の拡大写真で、これも初めて見る往年の石火矢橋です。

案内地図

写真1

グスクは、豊見城城址公園になっていて、長い間立ち入り禁止の状態が続いていましたが、平成29年度に敷地の南西側に空手道会館が建設されグスク跡地の手前までは行けるようになっています。

豊見瀬御嶽の入口

写真2

豊見瀬嶽の入口です。この辺りに二の郭の城壁があったとお思われますけど・・

写真3

沖縄県の一大イベントであるハーリー発祥のグスクとして有名なグスクです。そのグスクの中にある「豊見瀬嶽」で、旧暦の5月ハーリーウガンの神事が行われています。

写真4

豊見瀬嶽へ入る入口の右側にあるハーリー由来の石碑。

写真5

城跡内にあった井戸や周辺の御嶽へのお通し等を行う所のようです。

写真6

豊見瀬嶽の後方左側に一ノ郭への石段があります。復元図にある城門跡への石段ではないかと思いますが・・・分かりません。

写真7

一ノ郭の内部です。郭の周りに石積みが見られますが、遺構かどうか分かりません。東側の奥には三角点があります。

写真8

三の郭からニノ郭を見ましたが、遺構が残ってないので範囲が分かりません。

写真9

三の郭は広々とした空間になっています。復元図にある北側の門跡は崖沿いを歩いて辿ると分かりますが、他は分かりません。

写真10

三の郭の東側にある門跡か?と一瞬思いましたが復元図の位置とずれています。城址公園の時に整備された物かも知れません。

写真11

東側の取付道路の崖上に石積みが残っています。

写真12

三の郭の周りの崖沿いには少しずつですが根石が残っています。

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グスクの眼下に広がる市街地。


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