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市町村別グスク一覧(各市町村の間切り時代の説明入り)

北部 中部 南部

市町村の分類

北部: 国頭村 大宜味村 名護市 今帰仁村 本部町 宜野座村 恩納村 金武町

中部: うるま市 読谷村 嘉手納町 北谷町 沖縄市 宜野湾市 北中城村 中城村 西原町 浦添市 

南部: 那覇市 南風原町 豊見城市 南城市  八重瀬町 糸満市 


那覇市

現在の那覇市は、戦後に旧首里市・真和志村・小禄村等と合併して出来た沖縄県の中心都市になっています。 三山分立時代(13~14世紀)の那覇は真和志間切りに属する浮島の一漁村に過ぎなかったそうで、尚巴志による 三山統一で琉球の政治の中心が首里に移ると、那覇は対外的な窓口として重要視され、1452年に「長虹提」が築かれて 首里と那覇が結ばれたことにより“なはどまり”(那覇港)とよばれ一大要津になり発展します。 戦後、奇跡の一マイルと呼ばれた国際通りを中心に観光都市でもあり、那覇国際空港・世界遺産の首里城・モノレール・ 那覇大綱引き等観光都市にふさわしい施設やイベント等が多い都市で有名です。


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グスクの位置図

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那覇市

グスク名所在地グスクの現況・その他
サキハラグスク那覇市字鏡原未訪、那覇空港施設内
屋良座森グスク那覇港入口南岸未訪、今はナシ
具志グスク那覇市小禄(具志ウガン公園)未訪、拝所有り
御物グスク那覇市垣花(那覇港内米軍基地)未訪、遺構残る
三重グスク那覇港入口北岸(三重グスク公園)探訪、遺構残る
首里グスク(WEBで検索)那覇市当之蔵(国定公園首里城)探訪、世界遺産
小禄グスク那覇市字小禄(森口原)森口公園探訪、拝所有り
石田グスク那覇市識名探訪、拝所有り
天久グスク那覇市天久探訪、拝所有り
天妃グスク那覇市久米探訪、
硫黄グスク那覇市通堂町探訪、今はナシ

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南風原町

首里グスクの南側にあったところから南風原という名が付けられたという南風原間切りは、三山時代は中山に属して いましたが、後に真和志間切り・西原間切りと共に首里王府直割の「御持間切」になります。(※「御持間切」とは、 王府への上納米を納めた地域のことを言うそうです。)王府直轄の統治のもとにあったために、王府の財政に左右され村の 編入、移動が多く、現在の南風原町の境界は明治41年の町村制の施行でようやく定まったと言います。

※ひとり言・・この南風原町は沖縄県で海に接していない市町村の一つ でしたが、大里村が南城市になり東風平村も八重瀬町となり、いまでは沖縄本島でただ一つ海に接していないめずらしい 自治体になっています。

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グスクの位置図

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南風原町

グスク名所在地グスクの現況・その他
宮グスク南風原町宮城未訪、位置不明
仲間グスク南風原町津嘉山(クニンドー遺跡)未訪、入口探せず
内嶺グスク南風原町兼城(内嶺グスク公園)探訪、拝所有り
与那覇グスク南風原町与那覇探訪、遺構ナシ

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豊見城市

豊見城切り
豊見城間切りは、古くは瀬長島から始まり、、次に豊見城グスク辺りに移りやがて各所に集落が広がったと言われて います。その後、南山が滅亡し第二尚氏の尚真王代の後は、按司掟が統治しました。その頃は39の集落からなる大間切り だったといいます。小禄間切りや兼城間切り、そして東風平間切りにその領域を割譲したために現在に近い形になったそ うです。豊見城市も古いグスクが多くありますが、やはり有名なグスクは豊見城グスクだろうと思われます。「ハーリー由来まつり」 の祭祀が行われる「豊見瀬御嶽」、最近完成した沖縄空手会館や豊見城城址復元計画等が話題になっています。


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グスクの位置図

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豊見城市

グスク名所在地グスクの現況・その他
ユダマグスク豊見城市上田未訪、入口探せず
瀬長グスク豊見城市瀬長島探訪、今はナシ(遥拝所有り)
石原グスク(豊見城市)豊見城市翁長探訪、拝所有り
長嶺グスク豊見城市嘉数探訪、拝所有り
渡嘉敷グスク豊見城市渡嘉敷探訪、拝所有り
渡橋名グスク豊見城市渡橋名探訪、拝所有り
平良グスク豊見城市平良(赤幸原)探訪、遺構少し残る
保栄茂グスク豊見城市保栄茂(城之下原)探訪、拝所有り
豊見城グスク豊見城市嘉数(豊見城城址公園)探訪、公園閉鎖で進入不可

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南城市

南城市は平成18年に玉城村、佐敷町、大里村、知念村の1町3村が合併して出来た新しい市です。
三山時代には、島添大里グスクの城主「汪英柴」が「東四間切」を支配し、島尻大里グスクの按司「島尻世の主」に対して 「下の世の主」と称し威勢をふるっていたのではないかという説もあります。この「東四間切」が今の南城市にあたります。

旧玉城村 旧佐敷町 旧大里村 旧知念村

旧玉城村

玉城間切り
玉城間切りは、「東ウマーイ」と呼ばれる巡礼地の受水走水と御穂田、浜川御嶽やヤハラツカサ等聖地が多く、 神話に満ちた地であると言われています。古城跡も多く「グスクロード」と呼ばれる道路沿いには垣花グスクや アマミキヨが築いたといわれる玉城グスク、糸数グスク等が連なっています。


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グスクの位置図

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旧玉城村

グスク名所在地グスクの現況・その他
ミントングスク玉城村字玉城未訪、拝所有り
安次富グスク玉城村字玉城探訪、遺構ナシ
垣花グスク玉城村字垣花和名盤探訪、遺構残る
玉城グスク南城市玉城字玉城門原探訪、遺構残る
根石グスク南城市玉城字糸数探訪、遺構残る
糸数グスク南城市玉城字糸数探訪、遺構残る
船越グスク南城市玉城字船越探訪、遺構残る
大城グスク(旧玉城村)南城市玉城字百名探訪、拝所有り
大川グスク南城市玉城字當山未訪、遺構ナシ
仲栄真グスク南城市玉城字富里探訪、遺構少し残る

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旧佐敷町

佐敷間切り
佐敷間切りは、三山統一を成し遂げた「尚巴志」で有名な間切りです。三山統一の足がかりとなる佐敷グスクをはじめ、 第一尚氏王統にゆかりのある文化財が多くあります。現在、「尚巴志ハーフマラソン」や「音楽堂・シュガーホール」 等で知られています。


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グスクの位置図

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旧佐敷町

グスク名所在地グスクの現況・その他
屋比久グスク南城市佐敷字屋比久探訪、拝所有り
佐敷グスク南城市佐敷字佐敷探訪、遺構残る

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旧大里村

大里間切り
南山には二つの大里があり、南山の本拠地である大里グスクは島尻大里グスク、大里村の大里グスクは島添大里グスクと 呼ばれ区別されていたそうです。この大里間切りの領域は、かつては南風原の一部地域や与那原の板良敷辺りまで含む 間切りだったそうです。


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グスクの位置図

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旧大里村

グスク名所在地グスクの現況・その他
ギリムイグスク南城市大里字大里(西原)探訪、拝所有り
ミーグスク(旧大里村)南城市大里字大里(展望台)探訪、遺構ナシ
大城グスク(旧大里村)南城市大里字大城探訪、遺構残る
大里グスク(旧大里村)南城市大里字大里(大里城址公園)探訪、遺構残る
山グスク(稲福遺跡)南城市大里字大城小字稲福原探訪、拝所有り
高宮城の殿(ノロ殿内)南城市大里字仲間(本村)探訪、拝所有り

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知念村

知念間切り
「東四間切」の一角知念間切りは、玉城村と共に沖縄の開闢神話に深く関わり合い「東御巡り」の巡礼地が多い地域 で、「神の島」と呼ばれる久高島も元は旧知念村に入っていました。この知念村がさる大戦が終わる直後に志喜屋、 山里、具志堅、知念、久手堅そして玉城村の百名、仲村渠など7ケ字を合わせた地域に米軍が非戦闘員(県民)の 収容地域に指定するとともに知念市を誕生させますが、その年(1945年8月)に日本の無条件降伏が決まると各地へ の住民の帰村が本格化し、翌年に1年足らずで知念市は歴史に幕を閉じたそうです。戦後のどさくさに紛れて忘れ去 られた記憶の一つではないでしょうか・・・。現在マリンレジャーや世界遺産の「斉場御嶽」等があり沖縄観光の 一角を担い賑わっています。


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グスクの位置図

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知念村

グスク名所在地グスクの現況・その他
ウフグスク南城市知念字久手堅(知念体育館の敷地)探訪、今はナシ
ナーワンダーグスク南城市知念字久手堅未訪、入口探せず
安座真グスク南城市知念字安座真未訪、進入不可
寒水(ソージ)グスク南城市知念字寒水未訪、位置確認出来ず
ティミグスク南城市知念字久高(久高島)未訪、遺構残る
古間(カンチャ)グスク南城市知念字志喜屋未訪、入口探せず
志喜屋グスク南城市知念字志喜屋探訪、遺構残る
知念グスク南城市知念字知念探訪、遺構残る(復元中)
知名グスク南城市知念字知名未訪、入口探せず

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八重瀬町

八重瀬町は平成18年に東風平町と具志頭村の1町1村が合併して出来た新しい町です。

旧東風平町 旧具志頭村

旧具志頭村

具志頭間切り
具志頭間切りは、東から玉城・大里・東風平・真壁・摩文仁間切りに囲まれ、一方だけが海岸線に接する 間切りです。古くは、屋冨祖・よりたち・具志上・花城・安里・上・中座の7ケ村からなる間切りで南山王の 支配下にあったと言います。そして元分年間(1736年~1740)に具志頭最古の部落よりたち村を廃止し、 屋冨祖を具志頭に合併し、花城は玻名城に中座は仲座に、上は与座に改称されたそうです。 古城跡も多く具志頭グスクや多々名グスク、上グスク等があります。


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グスクの位置図

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旧具志頭村

グスク名所在地グスクの現況・その他
ミドリグスク八重瀬町具志頭部落東村渠東方探訪、遺構ナシ
具志頭グスク八重瀬町具志頭小字須武座原(城址公園)探訪、遺構少し残る
上グスク八重瀬町具志頭小字前原探訪、遺構残る
新城グスク八重瀬町新城小字北滝川原(新城公園)探訪、拝所有り
多々名グスク八重瀬町具志頭字玻名城小字眼埼原未訪、遺構残るも進入不可

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旧東風平町

東風平間切り
1611年に行われた慶長検地の頃の東風平間切りは、5つの村から成り立っていたそうです。南風原町や大里村と同じ 海に面してない自治体です。この地域では、八重瀬グスクの桜祭りや富盛の大獅子、旧暦の8月15日に行われる15夜 祭り等が有名です。


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グスクの位置図

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旧東風平町

グスク名所在地グスクの現況・その他
世名城グスク八重瀬町東風平字世名城探訪、拝所有り
勢理グスク八重瀬町東風平字富盛(富盛公園)探訪、遺構ナシ(大獅子有り)
当銘蔵グスク八重瀬町字当銘(西部プラザ公園)探訪、拝所有り
八重瀬グスク八重瀬町字富盛(八重瀬公園)探訪、遺構残る

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糸満市

現在の糸満市は1961年に1町3村(糸満町・兼城村・高嶺村・三和村)が合併し、新しい糸満町になり、その後1971年 に現在の糸満市に昇格したそうです。
古くは「東四間切」に対して「島尻七間切」とも呼ばれたそうで、これは具志頭・東風平・摩文仁・喜屋武・真壁・高嶺・豊見城 の7間切りの事を言うそうです。つまり南山の領域はその頃11間切りという事になります。

旧糸満町 喜屋武村 旧兼城村 旧高嶺村 旧真壁村 旧摩文仁村

旧喜屋武村

喜屋武間切り
喜屋武間切りは、沖縄県の最南端の間切りで、もとは福地、山城、上里、束辺名、さけ、喜屋武の6ケ村からなる間切りだった そうです。攻防や伝承の残る古城跡が多い間切りで、上里集落のある丘陵一帯の崖沿いを縁どるように築城されたグスク群、そして 上里グスク等と共に朝鮮国に亡命した南山王「温砂道」伝説を秘めた地でもあります。


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グスクの位置図

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旧喜屋武村

グスク名所在地グスクの現況・その他
カタハラグスク糸満市字喜屋武(喜屋武岬灯台崖下)探訪、進入不可
喜屋武古グスク糸満市字喜屋武(喜屋武漁港)未訪、位置不明
具志川グスク(糸満市)糸満市字喜屋武探訪、遺構残る(復元中)
佐慶グスク糸満市字束里上兼本原探訪、遺構残る
山城グスク糸満市字山城(前原)探訪、遺構残る
上里グスク糸満市字束里探訪、遺構残る
束辺名グスク糸満市字束辺名未訪、進入不可
當間グスク糸満市字喜屋武(小字大石原)探訪、遺構残る

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旧兼城村

兼城間切り
兼城間切りは、島尻の間切りで最も大きな間切りだったそうで、元の名は金城と呼称されたそうですが、首里の金城 との混同を避けるために兼城に改称されたそうです。元文(1735~1741)の改正で10あった村のうち、中城と崎中城 を高嶺間切りに伊敷と新垣を真壁間切りに移し、豊見城間切りから阿波根、武富、波平(現北波平)を編入します。又、沖縄 で最初の町と言われる糸満町が明治41年に兼城間切りが村政に移行する時、分離独立しています。


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グスクの位置図

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旧兼城村

グスク名所在地グスクの現況・その他
阿波根グスク糸満市字阿波根探訪、遺構少し残る
潮平グスク糸満市字潮平探訪、今はナシ
奥間グスク(糸満市)糸満市字兼城小字門原(上原)探訪、遺構少し残る
賀数グスク糸満市字賀数(ウナンチジ)探訪、遺構残る
兼城グスク糸満市字兼城探訪、遺構少し残る
照屋グスク糸満市字照屋小字(内原と御嶽原)未訪、進入不可(照屋配水池内)
武富グスク糸満市字武富小字仲間田原・後原探訪、拝所有り

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旧高嶺村

高嶺間切り
南山グスク(現高嶺小学校)のある大里一帯は島尻大里と呼ばれ南山が滅亡するまで南山の中心地だったと 言われます。古くは11の村からなっていたと言われますが、明治41年に高嶺村になると11村を整理統合し 与座・大里・国吉・真栄里の4ケ字になったと言います。為朝伝説の和解森(わどきなむい)、金屛風と の交換伝説の嘉手志川(かでしがー)等,伝説の残る地で歴史ロマンの地でもあります。願わくば南山グスクの 復元計画がいつか出ますように願っています。


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グスクの位置図

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旧高嶺村

グスク名所在地グスクの現況・その他
アカチヂグスク糸満市字与座探訪、拝所有り
チングスク糸満市字真栄里(小字ウテル原)探訪、拝所有り
伊敷グスク糸満市字伊敷探訪、遺構残る
国吉グスク糸満市字国吉探訪、遺構残る
上座グスク糸満市字与座小字上座原探訪、拝所有り
真栄里グスク糸満市字真栄里小字内間原探訪、遺構残る
大城森グスク糸満市字大里小字後原探訪、遺構残る
島尻大里グスク糸満市字大里小字桃原(現高嶺小学校)探訪、拝所有り
与座グスク糸満市字与座(小字東原・小字上原)未訪、進入不可

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旧真壁村

真壁間切り
真壁間切りは、真栄城・阿嘉礼・真壁・喜納・仲間の5村からなっていた間切りといいます。後に高嶺間切りから 名城、小波蔵、糸州を編入し、喜納と仲間を廃し、阿嘉礼(アガリ)を宇江城に改める等をしてそのまま村政 に移行したそうです。後に、喜屋武・摩文仁と合併して三和村(みわむら)になります。その名残りが、現在の 三和中学校や三和郵便局として残っています。


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グスクの位置図

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旧真壁村

グスク名所在地グスクの現況・その他
チチャマグスク糸満市字名城探訪、拝所有り
フェンサグスク糸満市字名城探訪、拝所有り
ブリ原グスク糸満市字真栄平探訪、今はナシ
安里グスク糸満市字糸州小字奥原探訪、位置不明
宇江城グスク糸満市字宇江城探訪、拝所有り
糸州グスク糸満市字糸州(糸州農村公園)探訪、遺構少し残る
新垣グスク(糸満市)糸満市字新垣(小字新垣原・後原・野山原)探訪、遺構残る
真栄平グスク糸満市字真栄平(通称後原)探訪、拝所有り
真壁グスク糸満市字真壁(真壁公園)探訪、遺構少し残る
仲間グスク(糸満市)糸満市字小波蔵未訪、位置不明

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旧摩文仁村

摩文仁間切り
摩文仁間切りは、古くは摩文仁、石原、米須、小渡の4か村を含む間切りだったそうで、東は仲座の仲座交差点付近 から西はガラス村のある南波平辺りまでを含む領域だったそうです。行政区域の変更等で、波平や伊礼が新設される 等を得て明治41年に村政に移行したそうです。沖縄戦の終焉の地であり平和記念公園があることで知られています。


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グスクの位置図

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旧摩文仁村

グスク名所在地グスクの現況・その他
オドサドグスク糸満市字大渡未訪、位置不明
ガーラグスク糸満市字大渡探訪、今はナシ
ハガー原グスク糸満市字摩文仁未訪、位置不明
伊原グスク糸満市字伊原探訪、遺構残る
波平グスク糸満市字南波平探訪、遺構残る
米須グスク糸満市字米須(東田原)探訪、遺構残る
高摩文仁グスク糸満市字摩文仁(平和記念公園内)探訪、遺構少し残る

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